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盲導犬襲撃事件で解いておきたい誤解

2014/09/16

 愛犬が亡くなって1年が経ちました。私が子どもの頃から、我が家には常に犬がいました。私は今でも愛犬がいつも寝そべっていた場所を目で探してしまいますし、夜中に目が覚めると犬の寝息が聞こえないか耳をすませます。1年という時間は流れたものの、私はまだ、犬のいない生活に慣れません。

 本コラム(『盲導犬センターで見つめた「犬の一生」』)にも書いたとおり、昨年京都にある関西盲導犬協会の訓練施設に見学に行きました。愛犬を亡くして間もない時期でしたので、最初のうちは盲導犬の姿を見るだけで涙がこぼれるほど感傷的な気分になりました。しかし、訓練所の皆様やボランティアの方々、盲導犬ユーザーとお話をしていくうちに、眼科医として盲導犬活動に対する自分の無知を恥ずかしく感じました。このとき、微力ながら私も盲導犬の育成活動に関わって行かねばならないと思い至りました。

盲導犬協会の会報で知った「虹の橋」
 現在私は関西盲導犬協会の個人会員になっており、僅かではありますが寄付をしたり、チャリティーグッズを購入したりしています。盲導犬協会からは、年に数回会報が届きますが、それを読むのも楽しみになっています。

 数カ月前、友人の愛犬が亡くなりました。前日まで特に変わった様子もなかったそうですが、朝なかなか起きてこないなぁと思って見に行くと、既に亡くなっていたのだとか。なぜ異常に気付いてやれなかったのだろう、と彼女はとても悔やんでいました。子どもがいない友人夫婦が愛犬を我が子のように大切にしていたことを知っている私には、慰めの言葉が見つかりませんでした。

 そんなとき、盲導犬協会の会報で目にした訓練士さんのコラムを思い出しました。訓練士さんはたくさんの盲導犬の育成に携わっていますが、訓練途中で盲導犬に適性がないと判断されたキャリアチェンジ犬や10才になって盲導犬としての役割を終えたリタイア犬たち(ともに余生はボランティア家庭でペットとして生涯を終えます)の死をたくさん見ることになります。しかし、そのコラムの内容は悲観的なものではなく、むしろ自分が死んだとき、そんな犬たちと「虹の橋」で再会するのを楽しみにしているということでした。

 私は知らなかったのですが、「The Rainbow Bridge」(作者不明)という英語の詩があるそうです。天国の手前には「虹の橋」が架かっている。そこは広々とした豊かな自然があふれる場所で、たくさんの食べ物と水があり、亡くなる前にはどんなにつらい病気を患っていたとしてもペットたちは元気な身体を取り戻し、楽しく仲間たちと暮らしている。やがて天寿を全うした飼い主が現れ再会できる。飼い主は愛するペットたちと一緒に虹の橋を渡って天国に行く――という内容の詩です。

 これは人間が作りだしたファンタジーかもしれません。しかし、それまでは病気で苦しんだ愛犬のつらい最期の姿を思い出して後悔ばかりしていた私は、この詩を知ってから元気だったころの愛らしい愛犬の姿を思い返すことができるようになりました。そして、またいつか彼らに会えるんだなぁ…と思うことで、ずいぶん気が楽になりました。うちの犬はおバカだったので、私が行ったときには誰か違う人と虹の橋を渡ってしまっているかもしれませんが(笑)。

著者プロフィール

さかい あい(ペンネーム)●アラフォー、独身の女性フリー眼科医。関西在住。十数年の病院勤務後、一身上の都合でフリーに転身、町の眼科クリニックに勤務。仕事は結構忙しいが、オン/オフはっきりした生活をエンジョイ中。

連載の紹介

さかいあいの「今日はどないしはったん?」
関西在住の女性フリー眼科医、さかいあい氏によるエッセイ。日々の診療や患者さんのこと、趣味や楽しみ、気になる事件など、話題てんこ盛りです。ブログタイトルは、さかい氏が診察を始めるときの決まり文句。

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