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震災から4年、医療支援者の想い
科学や善悪だけで問題は片付かない
答えを創り続けるということ

2015/03/04
小鷹昌明(南相馬市立総合病院)

避難指示解除準備区域の小高区で「男の料理」教室をこれまでに8回開催。いよいよ試食の盛り上がる一瞬。

 南相馬市立総合病院に赴任して、丸3年が経過しようとしている。長いとはいえないが、決して短くもない期間が過ぎたように思う。この間、私は医療を中心とした支援を続け、週末にはボランティア活動を発展させ、時間の許す範囲で乗馬の腕を磨き、その片手間にインターネットを用いた情報発信を繰り返してきた。

 震災からの4年間をあえて一言で表すとしたら、「正解のない問題との葛藤だった」ということだろう。

 初対面の人から「小鷹先生は元々、そういう市民活動やボランティアを経験されてきたのですか?」という質問をよく受けるのだが、以前の職場でそんな活動ができるはずはない。だからそう答えるのだが、「経験もない。ましてや医者という仕事をしていて、なぜ地域活動をできるのですか?」と驚かれる。「なぜと言われましても…」と、ここで言葉に窮するのだけれど、裏を返せば、そのような地域への取り組みは無自覚に行えるということなのかもしれない。

正解というものは何なのだろう?
 どうすればいいのかがわからないときに「何をしてよいか」を考え、回答のない問題に対して、それでも「当面の答えを出していく」ことを求め続けられてきたのが、この原発被災地での活動である。

 この街にいると、「正解というものは何なのだろう?」ということをよく考える。「多くの人によって同意の得られたことが正しいのか?」と問われれば、そういう考えがこの国ではおそらく一般的だと思う。しかし、民意というものは、流れによってどうにでも変化する。ときにマイノリティの意見によって世の中が変わるということがあるし、いつの時代だって、少数の異議の中に本質は潜んでいた。そう考えただけでも、絶対に正しいというようなものは存在しない。

 科学的根拠が得られれば正解なのかもしれないが、「科学的」というのも考えればかなり曖昧な概念だ。第一、人情や義理などの介在する人間関係においては、そう簡単に割り切れることはめったにない。科学によって証明されないものを信じたり、恐れたりするのが人間であり、特にこの地における放射線の問題は、感情に根差すものになっている。いくら安全性が証明されたとしても避難を続ける人がいるし、安全性が証明されずとも住み続けている人もいる。

 自己主張があまりにも強すぎる人は厄介がられるが、まったく自分の意見のない人も何を考えているのかわからない。正義感や使命感の強い人種が役に立つ現場も多いとは思うが、放っておいてもらいたい人たちも実にたくさんいる。周囲に適応できたり、状勢で変化できたりする能力が問われるわけだが、そんな器用な人間ばかりで世の中が成り立つわけではない。そうなりたくてもなれない人間が、ここにはたくさんいる。

著者プロフィール

小鷹昌明(南相馬市立総合病院神経内科)●おだかまさあき氏。1993年卒後、某大学神経内科に所属し、病棟医長、医局長、准教授を歴任。一念発起して2012年4月から現職。「今、医療者は何を考え、どうすべきか」をテーマに、現場から情報発信を続ける。

連載の紹介

小鷹昌明の「医師人生・四“反省”期」
医学部入学から四半世紀になろうとしている小鷹氏。自分の医師人生を四“反省”期として振り返ります。医療・医学、社会問題・社会現象、人間関係・生き方、自らのこだわりといった4つのテーマについて、様々な角度から語ります。

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