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大学を辞め、野馬追に出陣するまで
被災地で得た新たなモチベーション

2014/10/06

平成26年7月、念願叶って、相馬野馬追に騎馬武者で出陣。

 私が、この南相馬市に移り住んでから1年が過ぎた頃であった。医療支援や市民活動は軌道に乗りつつあったが、簡単には割り切れないわだかまりというか、こだわりのようなものが腹の中にドスンと残ったような感じがしていた。それまでの1年間のあらゆることが、まだまだ未消化のような、結論を得ていないような気がしていた。当然、“やりきった感”というものはなく、自分がここで何をやりたくて、何を残したいのかということと闘っていた。何度も自分というものと対峙して、真剣に問い直し、落とし前をつけなくてはならないような、そんな気持ちでいた。

 初めて乗馬訓練を開始したのは、そんなときだった。もちろん、“相馬野馬追”に出陣するために。

 振り返れば、この街に来た最初の夏の日、私は雲雀ヶ原祭場地からこの行事を眺めていた。先祖伝来の旗指物を背負い、白鉢巻を締めた騎馬武者たちが、砂埃舞う中を人馬一体となり、旗をなびかせて勇壮果敢に疾走する。遥か遠方からでも、その迫力に魅了された。猛暑の中の“武”の儀式であり、男たちの晴れ姿が目の前には広がっていた。そして、昨年は馬丁(馬を引く人)として、はじめて野馬追に参加した。

 自分で言ってしまうと評価は半減するが、「相馬野馬追は観るものではない。参加すればいいというものでもない。武者として馬に乗って出るもの」という確信を得て、一念発起。運動神経が優れているとは決していえず、乗馬経験は幼少時にメリーゴーランドに数回乗っただけという私でも、「がんばればなんとかなる」と、自分の潜在能力を根拠なく信じて、昨年の9月から乗馬の特訓を開始したのである。

 秋と春は朝5時から、冬は午後から、小雨が降りすぼる日も、うっすらと雪が積もった日も、厩舎の方々にお世話になった。叱咤され、ときに煽てられ、目標としていた10カ月の間に100鞍(乗馬経験回数の数え方)の騎乗を果たしたのである。

 努力の甲斐あって(そう言わせてください)、おとなしい馬に限って操作ができるようになった。そして今年7月の最終土曜日、延べ16万人の見物客の見守る中、騎馬で出陣。“宵乗り”や“お行列”という450騎の武者による進軍の一部に加わり、祭りのハイライトである“神旗争奪戦”にも、何とか参戦を果たしたのである。言葉に表すのは難しいのだが、私にとって、とてもとても優雅な、そして、日常を忘れさせる刺激的な時間であった。

 野馬追でやるべきことは、戦国時代からの変わらぬ伝習を守り、再現することである。白鉢巻きを額に絞め、鎧兜で身を固め、太刀を帯び、先祖伝来の旗を翻し、法螺貝の音に合わせて馬を操れば、普段と違う自分がそこにいる。地震や津波や原発とは関係のない、昔からの自身を立ち上げることができる。「地に足が着く」というか、「あるべき原点に立ち返る」というか、もっと言うなら、単純に「血がたぎる」というような感覚に浸れるのである。

 相馬野馬追の魅力を一言で言い表すなら、いつもの自分ではない自分を演じられること。2日間にわたる騎馬武者体験は、私に大きな大きな自信と誇り、やり甲斐を与えてくれた。

著者プロフィール

小鷹昌明(南相馬市立総合病院神経内科)●おだかまさあき氏。1993年卒後、某大学神経内科に所属し、病棟医長、医局長、准教授を歴任。一念発起して2012年4月から現職。「今、医療者は何を考え、どうすべきか」をテーマに、現場から情報発信を続ける。

連載の紹介

小鷹昌明の「医師人生・四“反省”期」
医学部入学から四半世紀になろうとしている小鷹氏。自分の医師人生を四“反省”期として振り返ります。医療・医学、社会問題・社会現象、人間関係・生き方、自らのこだわりといった4つのテーマについて、様々な角度から語ります。

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