
師走入りした最初の週、筋萎縮性側索硬化症(ALS)患者である橋本操さんのお宅を訪問した。橋本さんは、日本ALS協会副会長およびNPO法人「さくら会」理事長であり、ALSの進行に伴って人工呼吸器を装着し、それでもなお(“だからこそ”かもしれないが)、独居生活をされている方である。
練馬駅前の繁華街にある瀟洒なマンションの4階を訪ねると、「さくら会」の方と2人のヘルパーに付き添われ、彼女は私たちを出迎えてくれた。
キッチンと隣接する6畳のダイニングと4畳半くらいの2部屋。大きい方の部屋には電動ベッドが置かれ、小さい方の部屋には車椅子が2台収納されていた。枕元にはパイプラックが組まれ、人工呼吸器と吸引器とが設置されていた。ボックス棚やテーブルは、生活物資や介護用品、医療器具やそれらの在庫などで埋め尽くされていた。
柱や壁には、ポスター(SMAP、清原和博)や家族の写真に加えて、掲示物やスケジュールカレンダーが貼られていた。一日の献立表や、支援者が風邪を持ち込まないための「予防接種に行きましょう」と書かれた告知もあった。人の立ち入れる場所の限られた、生活空間というよりは隠れ家のようなその隙間に、私たちは身を寄せ合うようにお邪魔した。
橋本さんは32歳でALSを発症。気管切開術を38歳で受けて、20年が経とうとしている。さまざま葛藤があったであろうが、初めから家族介護の選択肢はなく、自らの知恵と働きかけとによって、独居生活での24時間介護体制を構築した。ベッド上の生活ではあるものの、20人程度の介護者に常時支えられ、有志者とともにNPO法人「さくら会」を立ち上げ、現在でもALS患者と家族とのための支援活動を展開している。
コミュニケーションの方法は、介護者との阿吽の呼吸によるアイコンタクトと足趾を使ってのタイピングのみであった。「実際に動くのはスタッフで、私自身は『気合いです』とか、『自分で闘え!』とか、なるべく多くの患者に檄を飛ばすことしかしていない」と、橋本さんは(タイピングで)説明してくれたが、それだけだとしても、ものすごく大変なことだと思った。
彼女はベッドの上に鎮座し、すべての会話に耳を傾け、ときどき、ヘルパーを通して難病介護に関する自分のノウハウを述べてくれた。私はそういう話に聞き入りながら、お宅を何度も見回すことで“独居生活”というものの成り立ちを考えていた。
長い長い闘病生活の中での想いや、これまで彼女が成し遂げたいくつもの制度改革について、見守り続けてきたわけでもない私ごときが語れるものでは到底ない。生半可の人生観で彼女を語ったところで、彼女自身の思考の伝達の邪魔になるだけである。
だから私は、そのときに考えていた“孤独”についてだけ、ここで伝える。橋本さん宅を訪問して、私が常日頃感じている「孤独の意味」について、その想いを新たにしたからである。