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女医のJOYのために(後編)
職場に女医がいなければ、やる気が出ない!

2011/08/04
小鷹昌明

 前編に引き続き、女性医師について、男性医師の視点から若干憂慮されることと今後の展望について、私見を述べたい。

 私は、臨床実習(BSL)の医学部5年生の女子や女性研修医を対象に、これまで3~4年にわたって「なぜ、医学部にきたのか?」「理想の女医像とは?」などといったことを、フレンドリーに尋ねてきた。

 そこで得た結論は、どうやら彼女たちは既に「明確な目標を掲げることを避けている」ということである。レールの敷かれたキャリアを型通りに積みたいとは思っていないし、そもそもそんなキャリアがあるとも思っていない。いつでも自分をフリーにしておき、その場の状況でフレキシブルに対応したいと願っている。男に頼ろうという気なんてものも、デフォルトとして微塵もない。

 「海外留学を目指したい」「発展途上国で医療支援をしたい」「女流外科医になりたい」「ホスピスで働きたい」「救急救命医か産科医になりたい」「タレント医師になりたい」という向上心を表向きは語るが、その一方で具体性を尋ねると、「その時になれば考える」「結婚ができたら、その状況で変わるかもしれない」というハイブリッド(?)な考えも、同時に持ち合わせている。

 今の医療情勢を見ると、明確な目標や希望などを避けて行動しようとするのは当たり前とも言えるだろう。そういう意味では、昔よりは自立しているのかもしれないし、選択の幅が広がったのかもしれない。しかし、どうも釈然としない感覚が残る。

 “男女共同参画”は、女性には「男性型の戦略が取れる」という選択肢を、男性にも「昔ながらの戦略に捉われず、旧来の女性型の戦略が取れる」という選択肢を生んだ。

 それも一因となり、ジェンダーの壁を越えて女医が増え、男性看護師が増えた。多くのできる女医は、結婚相手にも悩んでいる。「自分が稼ぐので、協力してくれる、ほどほどの男で妥協する」か、「すれ違いの生活だとしても、価値観の一致する同業者で手を打つ」か、どちらかの択一を考えている。

男女“平等”か、“不平等”か
 2回にわたって私見を披露してきて、「では、お前はどうしたいのだ?」という声が聞こえてきそうだ。そろそろ巻きに入ろう。

 医療の現場では、男女平等がいいのか、性差の存在を前提とする方がいいのか。この議論は、今後も永遠に続く。

 私の基本的な考えとして、男女差を自然のものとして捉えていた方が社会は上手くいくような気がする。男は女性の体力を補おうとするし、女性は男の粗雑さを補おうとする。男女のそうした役割の違いを受容すると、「異性が別の考えを示すこと」「仕事の優先順位の付け方の違い」「疾患のアプローチの相違」を、それほど不快に思わなくなる。

 少なくとも医療の現場では、超えがたい性差の存在を認めた上でなお、その差を超えて歩み寄りたいというロマンチシズムが存在し、一歩遠慮しつつ、一歩しゃしゃり出るという微妙な距離感を伴う環境の方が、男女平等という平板な環境よりは余程住み心地がいいのではないかと思っている。

 女性に限った話ではないが、本当の成長とは、他者を頼らないことではないし、他者に依存することでもない。「人間の成熟は支えなしには成し遂げられない」ということに気付き、「自己のパフォーマンスの発揮のためには、他者の協力が欠かせない」と理解することである。

著者プロフィール

小鷹昌明(南相馬市立総合病院神経内科)●おだかまさあき氏。1993年卒後、某大学神経内科に所属し、病棟医長、医局長、准教授を歴任。一念発起して2012年4月から現職。「今、医療者は何を考え、どうすべきか」をテーマに、現場から情報発信を続ける。

連載の紹介

小鷹昌明の「医師人生・四“反省”期」
医学部入学から四半世紀になろうとしている小鷹氏。自分の医師人生を四“反省”期として振り返ります。医療・医学、社会問題・社会現象、人間関係・生き方、自らのこだわりといった4つのテーマについて、様々な角度から語ります。

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