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科学捜査と研究不正

2017/06/07
池田 正行

実験ノートがなくても「科学的証拠」
 臨床研究法の下では刑事司法が研究不正を判断します。その刑事司法の判断を左右する科学捜査でも、古畑鑑定足利事件に象徴されるように、研究不正が繰り返されてきました。

 土橋均氏(当時大阪府警科捜研吏員)によるベクロニウムの質量分析、いわゆる土橋鑑定は、(法廷の外では)捏造と断定される特徴を全て揃えています。下記の事実は一審の段階ですでに検察官から「開示」されていました(関連記事)。
1.実験ノートが実在しない。
2.土橋氏自身が鑑定資料を全量消費してしまった。つまり再現性もない。
3.鑑定資料受け渡し簿が存在しない。つまり検体が実在した証拠もない。

 いくら最高裁が科学的証拠認定を求めても、「検察の理念」には「科学」という言葉は登場しません。検察官・裁判官を対象にした科学教育プログラムはいまだどこにも存在しません。科学教育同様、彼らに対する職業倫理教育も存在しません。科学も倫理も知らなければ、科学研究倫理は理解できません。研究倫理が理解できなければ研究不正を認定できるわけがありません。

天動説が勝利した裁判
 「分子量557のベクロニウムを質量分析して検出されるのは、分子イオンであるm/z 557(あるいは2価の分子量関連イオンm/z 279)である。 m/z 258は影も形も無い」。これは、土橋鑑定の12年前にそう報告(Organic mass spectrometry 1989;24:723)されて以来、質量分析の世界では地動説と同様の水準で、既に確立された科学的事実です。

 この科学的事実に沿って、弁護団はpeer reviewジャーナルに掲載された多数の論文と、影浦光義氏(当時 福岡大学法医学教授、日本法医学会 教育研究委員会 法医中毒学ワーキンググループ代表)による鑑定を提出、さらに再審請求審では、土橋氏と同じ方法でベクロニウムを質量分析し、志田保夫氏(東京薬科大学元教授)による鑑定も提出しました。

 一方、土橋氏は「ベクロニウムを質量分析すると紛れもなくm/z 258が出てくる。この結果は世界のどこの研究室でも認められない独創的な実験結果である。なぜなら研究室や機器が違えば質量分析の結果も違うから」と、法廷で天動説を彷彿とさせる信仰を告白(裁判用語では証言)しました。裁判ではこの信仰が検察官と裁判官の間で共有される一方、弁護団の主張は全面的に排除され、08年2月、守大助氏を無期懲役とする判決が確定しました。

 14年2月には確定判決と全く同様の信仰に基づき、仙台地裁(河村俊哉裁判長)は、私のミトコンドリア病の診断とともに、志田鑑定も全面的に否定し、土橋鑑定を「科学的証拠」と再度認定しました。

学会では地動説、法廷では天動説を使い分ける驚天動地の二枚舌
 土橋氏は現在、名古屋大学大学院医学系研究科・医学部医学科 法医・生命倫理学招聘教員であり、日本法中毒学会の副理事長日本医用マススペクトル学会の評議員等、専門分野学会の要職にあり、さらに日本学術振興会の科学研究費も数多く獲得している、日本の薬毒物分析の最高権威です。

 法医学分野の最高権威による研究不正としては、古畑種基という立派な前例がありますが、多くの市民がひたすら権威にひれ伏していた当時と異なり、今は市民も研究不正に対して非常に敏感になっています。

 そのような時代の変化を今から16年も前にいち早く感じ取っていたのでしょうか、土橋氏は鑑定のわずか半年後の01年8月には、天動説(m/z258)は誤りであり、地動説(m/z279)が正しいと自著で認め (表中No.7)、2011年には地動説(m/z557)を支持し天動説(m/z258)を棄却する研究結果を論文として科学捜査の専門学会誌に発表しています (同No.10)。この表についてはさらに私が詳しく解説していますので、興味のある方は御覧ください。

 ところが、地動説への転向はあくまで学術活動だけで、肝心要の裁判所に対しては天動説を主張するという、それこそ驚天動地の二枚舌を土橋氏が今日まで貫徹しているのは前述の通りです。

著者プロフィール

池田正行(高松少年鑑別所 法務技官・矯正医官)●いけだまさゆき氏。1982年東京医科歯科大学卒。国立精神・神経センター神経研究所、英グラスゴー大ウェルカム研究所、PMDA(医薬品医療機器総合機構)などを経て、13年4月より現職。

連載の紹介

池田正行の「氾濫する思考停止のワナ」
神経内科医を表看板としつつも、基礎研究、総合内科医、病理解剖医、PMDA審査員などさまざまな角度から医療に接してきた「マッシー池田」氏。そんな池田氏が、物事の見え方は見る角度で変わることを示していきます。

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