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私が症例報告を書き続ける理由

2012/01/06

「対照との有意差を出すために、やむを得ず大規模にせざるを得なかった。それが大規模試験の本質です」

 これは2002年、金沢で開催されたEBMワークショップでの名郷直樹先生(現・武蔵国分寺公園クリニック院長)の言葉です。初めてお目にかかった名郷先生のこの言葉は、私が持っていた大規模試験信奉を吹き飛ばしてくれました。そして翌年、私が「日本の臨床研究の底上げをする人材育成のため」と大見得を切って、臨床現場を離れて厚生労働省(後にPMDA:医薬品医療機器総合機構)に転じた後も、新薬審査業務の書類の山の中で、名郷先生の名言の行間に隠されたメッセージを学び取ることになったのです。

症例報告こそが原点
 本格的な臨床研究というと、多くの人は大規模試験を思い浮かべます。しかし、厚労省・PMDAでの新薬審査は、何千例ものランダム化比較試験とて、一つ一つの症例の積み重ねに過ぎないことを教えてくれました。

 大規模試験が個々の症例の積み重ねであるならば、臨床研究の原点は目の前の患者の研究、つまり症例報告に他なりません。そう言っているのは何も私だけではありません。多くの先達が症例報告の大切さを説いています1)。New England Journal of Medicine(NEJM)の一番の売り物が、Case Records of the Massachusetts General Hospitalであることは、本ブログの読者の誰しもが認めるところでしょう。しかし、国内ばかりでなく、海外でも非常に多くの医師が、「今時、症例報告を受け取ってくれる雑誌などない」と、素朴な勘違いをしているようです。

大規模試験偏重から症例報告誌の増加へ
 かつて、ページ数もインターネットのサーバー容量も制約が厳しかった時代、NEJMやLancetのような商業誌(!)を筆頭に、多くの雑誌が市場性を考え、広範な読者層に強い訴求力を持つ(と出版社が信じていた)大規模試験の論文を優先して掲載し、症例報告を受け付けなくなったことは事実です。

 ですが時代は変わり、今や紙媒体のみの医学雑誌などありません。サーバーの容量も実質上制約がなくなりました。インターネット上で、かつサーバーの容量が問題にならないならば、広い読者層への訴求力よりも、学問的な価値が重視される可能性が高くなります。

 さらには図書館の書庫に行かなければお目にかかれないような古い文献を除けば、オンラインでの論文検索も十分満足できる水準になりました。このような論文検索エンジンは、大規模試験論文も症例報告も同じ一つの論文として扱い、差別しません。そして今や熱心な臨床医ならば、大規模試験論文では到底カバーできない問題点を解決すべく、症例報告も検索しているのではないでしょうか。

 こうして、もともと臨床研究の原点だった症例報告は、IT技術の発展に伴い、新しい価値を得るようになったのです。症例報告の需要や価値は今後拡大することはあっても、縮小することは決してありません。

著者プロフィール

池田正行(高松少年鑑別所 法務技官・矯正医官)●いけだまさゆき氏。1982年東京医科歯科大学卒。国立精神・神経センター神経研究所、英グラスゴー大ウェルカム研究所、PMDA(医薬品医療機器総合機構)などを経て、13年4月より現職。

連載の紹介

池田正行の「氾濫する思考停止のワナ」
神経内科医を表看板としつつも、基礎研究、総合内科医、病理解剖医、PMDA審査員などさまざまな角度から医療に接してきた「マッシー池田」氏。そんな池田氏が、物事の見え方は見る角度で変わることを示していきます。

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