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化学物質過敏症(MCS)に関する一考察

2007/10/11

 最初に断っておくが、私は化学物質にかかわるアレルギー、粘膜障害などの臓器障害を否定しているのではない。ただ、化学物質過敏症(Multiple chemical sensitivities:MCS)なる疾患概念の存在に関してかねがね疑問を感じており、そして、背後を取り巻くものに対して疑念を持っているのである。

 2007年10月3日の神戸新聞に「『化学物質過敏』に無理解 生徒が加古川市を提訴」なる記事が掲載されていた。

 内容は、中学時代に化学物質過敏症への配慮を求めたのに、「学校側の無理解や周囲のいじめ」で症状が悪化したとして、9400万円ほどの治療費や慰謝料を市に求めたというものだ。いつの間にか、化学物質過敏症が確立した疾患概念であるかのごとく扱われているのである。

 日本弁護士連合会は05年8月26日に「化学物質過敏症に関する提言 (pdf)」を出し、それから、複数の民放メディアで一方的な報道番組が続いた(日本テレビテレビ朝日、 TBS )。時期もほぼ同じで、何らかの政治的な動きと呼応しているのではないかと想像するのは難くない。

 こういった運動は、医学における地味な議論を無視して、疾患概念を暴走させる。「電磁波過敏症(EHS)」脳脊髄(せきずい)液減少症などに共通する背景がある。

 ある特殊な市民運動と、それを支持する弁護士、医師、政治団体が背後にあり、抑制の効いた議論を持たない概念の暴走と私には思われる。科学的・医学的根拠を無視し、メディアが関与し、相乗的に暴走が始まるのである。線維性筋痛症、慢性疲労症候群、顎関節症といった疾患も、広義の解釈がなされ、機能性身体症候群(Functional Somatic Syndrome:FSS)を内含する病態は、個別の症例検討が欠かせないにもかかわらず、同様に暴走していると私は考える。

 化学物質過敏症(MCS)は、日常生活で遭遇する多くの物質がもたらす負の作用から生じる病態に対する病名として、ロン・G・ランドルフ(Theron G. Randolph, M.D. 1906-1995)が提唱したものである。日本では北里大学の石川哲氏が“化学物質過敏症”と名付けたとされるようだ。

 この“chemical”の対象は、有機溶媒、殺虫剤、塗料、新しいカーペット、合成洗剤、化学繊維、建材などなど、実に多くのものが含まれる。身体所見や生化学的異常を伴わない主観的症状のみが診断される(Ann Int Med 15 July 1993 Volume 119 Issue 2 Pages 163-164)

 Theron G. Randolph「Human Ecology and Susceptibility to the Chemical Environment」がMCSの原典であり、「人間は毎日、しかも生涯にわたって毒性に影響されている。現在増え続けている環境中の化学物質は、人間の健康や幸福を損なってはいないだろうか」と当時問題となってきた環境問題を提起しつつ、「個体の過敏性に関する医学の問題は、その分布曲線の中央ではなくて、その両端にこそ問題があるのだから」と、その書籍の中で論理の隘路(あいろ)に陥っているのである。(参考pdf)

 1950年代は“環境問題”の時代であった。当時、概念的に増大する人工的“化学物質”に対して健康への危惧を表明したのは意義あることであったのだろう。ただ、具体的事例に基づいた疾患概念の提唱でもなく、そう診断された一群への疫学調査もない。それは、Randolphが疫学に否定的な見解を持っていたことでも明らかである。

著者プロフィール

牧瀬洋一(牧瀬内科クリニック院長)●まきせ よういち氏。1984年鹿児島大卒後、同大第一内科入局。大隅鹿屋病院などを経て、95年牧瀬内科クリニック(鹿児島県大崎町)開業。98年に有床診化(19床)。

連載の紹介

牧瀬洋一の「内科開業医のお勉強日記」
内科開業医として、呼吸器を中心に地域の患者を幅広く診察している牧瀬氏。JAMA、Lancet、NEJM、BMJをはじめ、主要論文誌をインターネットで読むのが日課。興味を引かれた論文を、牧瀬氏が紹介します。

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