日本の剖検率は3.9%だという(参考:http://www.mika-y.com/journal/journal4.html)。地方の医療機関の感覚からいえば、ほぼゼロに近いのではないだろうか?
私が勤務医のころは、大学病院や専門施設では剖検の許可を取るのが当たり前だと思っていた。しかし現在、大学関係者は「剖検の許可が取れない」と嘆いており、全国的な傾向のようである。世界的にも剖検率が減少しているようだが、日本はもともと剖検率が少なく、このまま放っておけば絶滅しそうな情勢のようである。
「最後の診断」(final diagnosis)と呼ばれる病理が、診断の一般的な黄金律である。その黄金律に照らしたときの医師の誤診率は、今回紹介するLancetの記事で採用したものでは、約3割だという。
昨今、医師の誤診率は何かと話題になる。誤診は、刑事罰・行政罰・民事罰の対象となり、何かと患者やマスコミの前で、「土下座せよ」と迫られることが多いのだが、もともと臨床診断はその程度の誤謬性を具有する蓋然性があるのだ。それを罰しろというのであれば、罰を受ければよろしい。その結果、医療という制度や医療関係者自体が世の中からいなくなっても、それは仕方がないのである。
そして剖検が減った今、その黄金律である「最後の診断」を得る機会も少なくなり、医師の自己研さんや医学の発展を障害しているのである。
The Lancetで以前、「剖検はもはやその権威を失い現代の医療では周辺的役割しか持たない」という主張が掲載されたことがある。
これを真っ向から否定する論が同じくThe Lancetに掲載された。
◆Clinical, educational, and epidemiological value of autopsy The Lancet.2007;369:1471-1480.
現代は集中的な臨床的検査が発達してはいるが、剖検により生前診断の30%はエラーであることが判明することが分かっている(Arch Intern Med.2004;164:389-392.)。
剖検は現代の生前診断過誤を明確にし、医療戦略の基礎となる国家的な死因統計を補完し、信頼性を改善するものである。剖検は薬剤副作用による死亡原因の発見に決定的役割を果たすこともある。
心血管、中枢神経疾患のような生検が簡単でない場所での疾患や新しい治療が急激に発展している分野への知識を深めるために、剖検は重要な位置を占め続けるのである。