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沖縄中部、聖路加、ハーバードで得たもの

2015/12/21
近藤豊

写真1 研修医時代の研修修了証

 日経メディカル、KUROFUNetの読者の皆様、初めまして。現在ボストンに在住の近藤豊と申します。

 私は昔から漠然と「救急医になりたい」と強く思っていました。しかし、どのようにしたら救急医になれるのか、当時医学生だった自分にはよく分かりませんでした。救急に限らず、医学生や医師にとってキャリア設計はとても難しい課題ではないでしょうか。にもかかわらず、現実には医学部6年次にどの病院で研修をするかという重要なキャリア選択を迫られます。私も、南国の大学を卒業した後に自分なりの救急医の姿を模索してきましたので、自己紹介がてらお話しさせていただこうと思います。

沖縄県立中部病院での初期研修時代
 母校では当時、沖縄県立中部病院(以下、沖縄中部)でのポリクリ(現在のクリニカル・クラークシップに相当)が必修化されていました。私も沖縄中部で病院実習をしたのですが、米国ハワイ大学式の研修システムの中で活躍している先輩方を見て、「この病院で研修したい」と自然に思うようになりました。

 沖縄中部の試験はアメリカの医師国家試験(USMLE)と同じような問題だと聞いたので、その対策をして何とか初期研修先とすることができました。専攻科は、基本手技を多く学べる外科を選択しました。インターン(沖縄中部における初期研修1年目の呼称)時代は多くの救急症例に接するとともに様々な科をローテートして、医師としての土台ができた1年でした。

 ジュニアレジデント(同、初期研修2年目の呼称)では外科系のみのローテーションだったので、成人の虫垂切除術、小児のラムステッド手術などから一般外科外来診療まで、とても充実した研修医生活でした。研修最後の修了証を受け取ったときは、とても感慨深いものがありました(写真1)。今でも研修医時代の下積みで得たものに支えられている気がしています。

 沖縄中部は厳しい修練の場としても有名ですが、それだけにとても実践的で、多くの症例に触れることができます。また、臨床が重視されているので、ベッドサイドで初期研修医が患者と接しながら研鑽を積むことができる、まさに初期研修に最適の環境でした。

聖路加国際病院での後期研修時代
 後期研修先の選択は、医師のキャリアにとって、とりわけ重要な局面です。一般的な選択肢は、おおまかに言って「大学に行くか、市中病院で研修するか」の2つ。大学は教育研究機関なので教育・研究色が強くなりますし、市中病院では臨床色が強くなります。

 私の場合、聖路加国際病院(以下、聖路加)に進むことになりました。聖ルカ・ライフサイエンス研究所を擁するなど臨床研究のアカデミックな部分も持ち合わせている聖路加では、より現代的な研鑽が積めるのではないかと考えたからです。当時の記憶をたどれば、大学病院と市中病院の中間くらいで良いバランスなのではないかと考えていたと思います。結果として、聖路加時代には多くの学会に参加するなどして、強いリサーチマインドが芽生えました。

 同時に、臨床でも救急外来の業務から集中治療、手術まで実践しながら毎日病院に通い、多くの経験をしました。より難易度の高い半結腸切除術、膵尾部切除術などの手術から、救急患者の敗血症性ショックや多発外傷、薬物中毒症例の集中治療など、その後の糧となったものは多いです。それ以上に、地方生まれ・地方育ちの私にとって、都会の中でバックグラウンドが違う方々と切磋琢磨できたことは大切な財産となりました。

 聖路加は、研修医に多くの症例を担当させるとともに、臨床研究を後押しする体制も整っている都会型の研修病院であると感じました。また、医療の質指標(quality indicator)の向上にも力を入れており、これは患者側からしても大変重要なことだと思います。なお、今でも聖ルカ・ライフサイエンス研究所には時折お世話になっていますし、当地で定期的に開催されるボストン聖路加会を通じても縁を保っています。

著者プロフィール

近藤 豊

ハーバード大学医学部外科学講座リサーチフェロー

2006年琉球大学卒業。初期研修を沖縄県立中部病院、後期研修を聖路加国際病院で修了。その後、琉球大学大学院へ進学し、救急医学講座講師や附属病院救急部副部長を兼任しながら修了した。救急科専門医、外科専門医。外傷や敗血症を得意分野とする。敗血症やARDSなど救急分野の様々な診療ガイドライン作成を担う。将来は臨床と研究を融合しながら救急医学を追究したいと考えている。趣味は散歩とコーヒー。

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