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効率よく命をあきらめざるを得ないカンボジアの医療

2009/12/29
堀越裕歩

 私の医師生活の中で間違いなく一つの転機になったのは、NGOが設立したカンボジアの小児病院で2003年にボランティアとして働いたことです。

 私が研修した沖縄県立中部病院には、コンサルタントとしてアメリカの小児精神科の医師が来ていましたが、国際保健に熱心な方で、カンボジアでの小児病院立ち上げにもかかわっていました。その先生に紹介してもらい、ボランティアに応募したのです。家庭の事情などもあり、わずか2カ月という短い期間でしたが、とても貴重な体験でした。学生時代にバックパッカーとしていろいろな国を渡り歩いた経験はあったものの、海外で実地の医療に触れたのは、これが初めてのことでした。

カンボジアの医療環境
 カンボジアは、東南アジアではラオスやミャンマーなどと並び、医療環境の整備が非常に遅れている国の一つです。小児の保健指標の一つである5歳未満児死亡率が82(1000人当たり、2006年)ですので、大ざっぱにいえば、10人に1人弱の子どもが5歳になる前に亡くなっていることになります。

 またカンボジアといえば、日本人にもなじみのある世界遺産のアンコール・ワットがある国です。アンコール・ワット周辺にはたくさんの寺院群があり、これらの多くが中世に建立されて栄えました。しかし、やがて隣国からの侵略や干渉を受けて衰退し、19世紀にはフランスの植民地になりました。第2次世界大戦後に独立を果たすものの、1970年代のポル・ポト時代には100万人以上が飢餓や虐殺で命を落としたといわれます。

 その後も続いた内戦がようやく終結したのは1990年。長い戦乱と政治的混乱による影響で、現在でも医療環境がとても悪いのは自明のことだと思います。なお、日本が国連の枠組みで、PKO(平和維持活動)として自衛隊を初めて海外派遣したのはカンボジアでした。

 さて、ボランティア先での私の仕事は、外来や救急外来、病棟での回診や現地の医師の教育などを担当することでした。当時は、ドイツ、イギリス、アメリカからの医師も常駐して、診療や教育に当たっていました。このときに何となく思い出されたのが、沖縄県立中部病院のことです。どちらも戦後復興の立ち上がりの時期にアメリカなどの助力を得て発展してきたことを考えると、似た立場にあった日本人として少しでも力になれればと思ったものでした。

著者プロフィール

堀越 裕歩

トロント小児病院 小児科感染症部門・クリニカルフェロー

2001年昭和大学医学部卒業。沖縄県立中部病院(インターン、小児科レジデント)、カンボジアの小児病院で医療ボランティア、国立成育医療センターの総合診療部等を経て、2008年7月より現職。東南アジアにおける小児国際医療協力・研究、新潟県中越地震の際の緊急支援などに従事。趣味は、スノーボード、野球とサッカー観戦。トロントでもフットサルで活躍中。

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