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「先生、入院を決めるのはあなたではありません」

2012/12/03
渡瀬剛人

『Standard Hospital Admission Criteria』(B & R MEDICAL,5th edition,2009.)

 以前働いていた病院で、74歳の女性が回転性めまいを主訴に救急外来を受診してきました。年齢のことも考え、様々な検査を施行しましたが、特に大きな異常は見つかりませんでした。末梢性のめまいということで様子を見ていましたが症状が良くなる気配がないので、入院のことを本人とその家族に話しました。

 診察室から戻ると、病院のケースマネージャー が私のところに来て、「あの患者さんはどうするのですか?」と尋ねてきました(アメリカでは、ほとんどの入院患者のスクリーニングをケースマネージャーが行います)。

 「特に大きな異常はないけれど、症状が続くので入院させます」。こう答えると、ケースマネージャーは、「特に異常がないのに入院させることはできません。この本(「入院基準ハンドブック」=後述)によると、あの患者さんは入院基準を満たしません。先生、入院を決めるのはあなたではありませんよ。この本です」。私は二の句を継ぐことができませんでした。

 ケースマネージャーは、その患者と家族のところへ赴き、帰宅しなければならない旨を申し渡した後、「家族の方が患者さんを連れて帰ることになりました」と私に報告してきました。どうしても腑に落ちない私は再度患者のところへ行き、まともに立つこともできないその姿を見て、誰が何と言おうと入院の必要があると思いました。ケースマネージャーとの一悶着はありましたが、家族に説明して結局入院となり、幸いにも2日後に無事退院していきました。なお、このときの入院医療費は、面倒な書類作成の手間があったものの、支払われたそうです。

“金科玉条”の「入院基準ハンドブック」が入院の邪魔をする
 「先生、入院を決めるのはあなたではありませんよ」――。この台詞はどうして出てきたのでしょう。

 自分で言うのも何ですが、様々な病気の病態生理を一生懸命に勉強し、患者の心身に何が起こっているのか理解を試み続け、歳を重ねるにつれて患者の社会背景にもある程度目が向くようになりました。入院が必要かどうかは、患者を直接診ている医師の自分が最も分かっているはずです。

 この台詞について書き始める前に、アメリカの医療事情を少々説明する必要があります。ご存知の通り、アメリカの医療財政は決して“健康”ではありません。近年の報告によると、GDPの18%(世界ダントツ1位!)を医療費に充てながら[1]、医療レベルの世界ランキングでは37位にとどまります[2]。また、個人レベルでも、個人破産件数の原因の半分が医療費であったり[3]、値段が高すぎて医療保険に入れない人が人口の16%を占めていたり[4]と、医療費は社会に大きなきしみを生んでいます。

 この事態に対して、メディケア(高齢者および障害者向け公的医療保険)およびメディケイド(低所得者向け公的医療保険)を管轄するCenter for Medicare and Medicaid ServicesCMS)は、様々な打開策を練りました。その一つとして、CMSが定める入院基準を満たしていない場合は、病院に対して入院医療費を支払わないというルールを作ったのです[5]。

 病院側は利益を減らすまいとして、すぐに反応を見せました。そして作成されたのが、前述のケースマネージャーが参照していた「入院基準ハンドブック」(Standard Hospital Admission CriteriaSHAC)です(冒頭写真)。これには下記の一例のように、バイタルサイン、検査結果、診断名などが含まれます。

著者プロフィール

渡瀬 剛人

ワシントン大学救急医学領域ハーバービュー・メディカルセンターAttending Physician

父親の仕事の都合でニューヨークに生まれ、以後はヨーロッパを転々。2003年名古屋大卒業時には、下手だった日本語もそれなりに上達。愛知県内の病院を経て、07年にOregon Health and Science University(OHSU)の救急レジデントとして渡米し、レジデンシーとadministrative fellowshipを修了(MBAは13年夏修了予定)。12年よりUniversity of Washingtonの救急スタッフとなり、ERの質管理や効率化にかかわる。若手救急医グループ(EMAlliance)を通じ、将来は日本の救急医療に貢献したいと考えている。ボルダリング、スキー、家庭菜園、熱帯魚、自ビール作り、赤ん坊と戯れるなど、オフは多忙。

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