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救急の長い待ち時間をトヨタ方式で改善

2012/02/06
渡瀬剛人

上空からOHSUのビル群を見下ろして。

 日本の医学部6年生だった2002年、私は当時のポリクリニック(今で言うbedside teaching)の一環として、アメリカのボストンとチャペルヒルで4カ月間を現地の医学生として過ごし、その経験が人生の大きな転機となりました。アメリカで体験した医学生とレジデントの教育、そして救急医療は、当時の日本では出合えなかったもので、「自分もこの世界に身を置いてみたい」という目標が芽生えてきたのです。

 第1希望のOregon Health and Science UniversityOHSU)にマッチできたのは2007年のことでした。私の根幹には「日本の救急医療をより良いものにしたい」という夢があります。そこで、何が大切かと悩んだ末、レジデンシー修了後、救急医療のマネジメントを専門とするadministrative fellowとしてOHSUに残りました。多角的なマネジメント能力を身に付けるため、同時に医療MBAを取得する予定です。この連載では、そんな自分がアメリカの救急医療の現場に立ちながら考えたことを綴っていきたいと思います。

無保険者の最後の砦、混雑する救急診察室
 ER型救急医療(以下、救急医療)において、アメリカが他国よりも深い歴史を有することはよく知られています。アメリカで救急医療が独立した部門として認められたのは、およそ30年以上も前のことです。その重要性が認められるに従って、救急医療を提供する場も、ERemergency room)からEDemergency department)へと発展していきました。

 アメリカのEDを見てまず驚くのが規模の大きさです。私の働くOHSUのEDはアメリカでは中規模クラスですが、小児用や経過観察室も含めたら40床以上となります。 もっと大きな病院では100床近くにもなり、働くスタッフも日本の救急外来の数倍はいます。救急患者数も、忙しい病院では年間10万人を超えます。こうした環境に身を置いて、驚きを隠せないのは私だけではないでしょう。現在に至るまでアメリカの救急医療が規模を拡大し、他科から認められるようになったのは、紛れもなく先輩救急医たちの努力の賜物です。

 とはいえ、アメリカの救急医療が多くの問題を抱えていることも確かです。特に最近声高に指摘されているのが、コストと患者集中の問題です。とりわけ前者については考えてみれば当然のことで、まず、これほどの病床数とスタッフ数の維持には、莫大なコストを要します。

 さらに、アメリカではEMTALA(Emergency Medical Treatment and Active Labor Act)という法律により、保険の有無などにかかわらず誰もが自由に救急受診できることになっています。他の診療科であれば「保険がない」という理由で診療を拒否できますが、救急科ではそれができません。アメリカ国民の20%弱を占める無保険者に何かがあったときは「最後の砦」であるEDに来るしかないという悲しい現実もあります。救急科の受診者は膨れ上がり、混雑しないわけがありません。

あまりの待ち時間に、待合室から救急車を呼ぶ患者も
 「救急医療が無保険者など社会的弱者を守る」と聞けば美しい話ですが、現実問題として病院などの負担は計り知れないものになります。誰に対しても救急医療を提供するという義務を国家は病院に課すものの、それに釣り合う金銭的な手当てはしていないからです。現にアメリカでは、救急科の受診者が増える一方で、慢性的な赤字を解消できないEDを閉鎖する病院が増えています[1]。

 すると、残るEDはなおさら混雑するという悪循環です。入院ベッドの空きを待つために数日間滞在するという話もまれではなく(入院ベッド数も削減されています)、こうした患者の予後は悪いという研究結果も報告されています。例えば2009年の研究では、ベッド待ちの患者の3割が何かしらの悪い転機をたどったと結論付けています[2]。

 問題は入院患者に限りません。診察前に待合室で3~4時間待つことは珍しくなく、最終的に帰宅と判断された患者が、EDに8時間も滞在していたということはざらにあります。ニューヨークのあるEDを受診した患者が待合室で心肺停止状態となったまま放置されていたという事件は、記憶に新しいところです。数カ月前には、私の勤める病院でも待合室の患者が心肺停止に陥りました(幸いにも社会復帰できましたが)。

 こんな状況ですから、待ち時間に耐えられず怒鳴り始めたり、待合室から救急車を呼んでしまう患者もいます。

著者プロフィール

渡瀬 剛人

ワシントン大学救急医学領域ハーバービュー・メディカルセンターAttending Physician

父親の仕事の都合でニューヨークに生まれ、以後はヨーロッパを転々。2003年名古屋大卒業時には、下手だった日本語もそれなりに上達。愛知県内の病院を経て、07年にOregon Health and Science University(OHSU)の救急レジデントとして渡米し、レジデンシーとadministrative fellowshipを修了(MBAは13年夏修了予定)。12年よりUniversity of Washingtonの救急スタッフとなり、ERの質管理や効率化にかかわる。若手救急医グループ(EMAlliance)を通じ、将来は日本の救急医療に貢献したいと考えている。ボルダリング、スキー、家庭菜園、熱帯魚、自ビール作り、赤ん坊と戯れるなど、オフは多忙。

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