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多国籍都市・上海で「外国人医師」になってみた

2019/07/19
友成暁子

写真1 臭豆腐の路上販売のおじさん

 はじめまして。上海パークウェイヘルスの友成暁子と申します。私の生まれは横浜ですが、父の仕事の関係で幼少期から高校までをイギリス統治下の香港とアメリカの東海岸で過ごしました。アメリカ時代は日本人が少ないエリアに住んでおり、通っていた小学校で日本人は私と妹たちだけでした。中学校以降は日本人の学生もいたのですが、やはり話す機会が少なかったからなのか、日本語は上手にならないままでした。

 父の海外任期が終わったため、高校からは日本に帰国してルーズソックス全盛時代を過ごしました。東京の高校に通い、「コギャル」にこそなりませんでしたがルーズソックスを履いて渋谷を闊歩し、すっかり日本になじんだ気になっていました。しかし、思い返してみると、日本語の難しさに悪戦苦闘しながら過ごした高校時代でもありました。

 その後、千葉大学医学部へ進学し、「日本語が変」とたまに指摘を受けながらも、6年間ほぼ毎日、大学裏の亥鼻坂を自転車で上っていました。若さですね。今となっては無理だと思います。

子を授かったことをきっかけに海外へ
 医師となってからは千葉から北海道へ移り、消化器内科医として診療経験を積みながら、プライベートでは結婚もしました。そして妊娠したのですが、子どもが生まれると分かったタイミングで、かつて抱いていた「海外で診療してみたい」という夢が鮮烈に蘇ってきました。

 私は経歴上、学生時代から医療関係の翻訳・通訳の仕事に恵まれてきましたが、医師として一度も英語での診療経験を持たないことがずっと引っかかっていました。とっさに出る医学英語が一般人レベルで(「失神した」を「貧血を起こした」と言うような感じ)、若干コンプレックスにも感じていたのです。また、バリバリ活躍している女性医師はたくさんいるけれど、私の場合、やはり子どもが小さいうちは従来のペースで臨床の仕事をしていくことは難しい。そうであるならば、思い切って仕事への向き合い方を変え、いっそ海外へ飛び出すチャンスなのではないかと考えました。

 海外での仕事探しにおいて、私が考えた条件は3つでした。まずは医師である夫と私、2人とも臨床の仕事に従事できること(必ずしも同じ職場でなくてかまわない)。研究職ではなく、患者さんと接し続けることができる臨床職であることを重視しました。次に、診療言語が英語であること。英語を話す患者さんを、英語を話すスタッフと一緒に診療してみたいということです。そして、安心して子育てができる安全な土地であること。いくら職場の条件が良くても、子どもが外で遊べないような環境へ移ることは考えられませんでした。

 情報収集を進める中で、外国人医師を募集している病院が上海に複数あることを知りました。上海は、東京からは飛行機で3時間ほど、福岡からは1時間半程度です。日本からのアクセスが良好なので孫の顔を見せに家族に会うのも簡単ですし、日本食が恋しくなったらすぐに帰国できます。私たちの海外就業の第一歩として最適なのではないかと考え、上海の病院へ応募することにしました。

 皆さんが上海に対して抱くイメージは、どのようなものでしょうか。私が初めて上海を訪れたのは学生時代でした。たくさんの自転車が路上を行き交い、ビルとビルの間には洗濯物が渡してあり、どこからか臭豆腐のにおいが漂ってくる…。当時の上海は、私が抱いていたイメージ通りの“ザ・中国”という感じの街でした。

 ところが、面接のために上海の病院を訪れたとき、街はまったく様相を変えていました。学生時代から何十年の時を経たわけでもないのに、自転車が少ない! 洗濯物が見当たらない! 臭豆腐のにおいは…する!(これはなくならない)(写真1

著者プロフィール

友成 暁子

ParkwayHealth消化器内科

2007年千葉大学卒業。亀田総合病院で卒後臨床研修後、同院消化器内科、手稲渓仁会病院消化器内科を経て現職。臨床の傍ら、医学書・医学論文の執筆、製薬会社関連の医学系翻訳なども手がける。幼少期を英国統治下の香港、米国メリーランド州で過ごした。勤務地・居住地の上海で出産も経験し、現在は2児の母。インターナショナルホスピタルの手術センター長である医師の夫と共に、育児、仕事、すぐに壊れる家電に対して日々奮闘中。

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