
患者の皆さんから温かい心のこもったメッセージカードを多数いただきました。ありがたいことです。
オーストラリア人を指して、砕けた表現でオージー (Aussie)と呼びます。オーストラリアを訪れたことのある人は、オージーはとてもフレンドリーだと言います。確かに、とてもフレンドリーで、開けっぴろげで、遠慮がありません。
親切にしてくれるときは何の下心もありません。その好意は本当の親切心から出ています。できないときは“Sorry, I cannot help you.”と言って、「できること」「できないこと」にしっかりと線を引きます。ですから、「この前はああしてくれたから、今回もやってくれるだろう」と期待すると裏切られるかもしれませんが、こちらではそれが当たり前。義理とか恩義とか遠慮とか、控えめは美徳とか、日本でおなじみの精神文化はさほど重んじられません。
オージーが発する言葉の裏には何もありません。至って単純明快。まずは自分が第一で、自分はこんなことをやった、あんなこともできる…と、絶えず自分をアピールし続けます。他人の話は聞きますが、「それはよかったね、で、私はこの間…」と、自分の方に話を持ってくることもしばしば。他人がどう思おうと関係なし。
「こんなことを言ったら機嫌を損ねるかも」と気を回して配慮しても、それを言葉にしてアピールしない限り、心遣いに気づくことはまれ。「これだけやってあげたのだから、あえて言わなくても、ありがとうくらい言ってくれたって…」と不満に思うようでは、こちらではやっていけません。いわゆる「空気を読む」ということは、オージーにはまず難しい。ですから、医師から患者に対しても、遠回しだったり曖昧だったりする言葉は誤解を招き、混乱のもととなりやすいのです。
私はラポールの確立がオージー社会の基本だと思っています。街中のショッピングでも、日本なら「お客様は神様です」と言って平等にサービスしてもらえますが、こちらでは店員と仲良くならないと良いサービスは受けられません。どんな人と仲が良いかで物事が左右され、難しいこともなんとかなることがあります。ですから、オージーの社会では誰とでも仲良くなるという文化があるのかもしれません。私がこちらの病院でインターンやレジデントのポジションを見つけるきっかけをくれたのも、ひょんなことから仲良くなったオーストラリア人GP(general practitioner)の推薦があったからでした。
ざっくばらんな問診からengageを
診療の場で、医師は患者をファーストネームで呼びます。患者は医師を“Doc”“Doctor”と呼ぶか、Takako Kobayashiなら“Doctor TK”のように呼びます。そして、“Hello Doc,How is going? I am crook.I have had bloody headache since yesterday.No temperature, no flu sort of stuff.What’s going on,Doc?”(やあ先生、調子はどうだい? おれは調子が悪い。昨日からめちゃくちゃ頭が痛いんだ。熱はないし、かぜをひいた感じでもない。いったいどうなっているんだい、先生?)といった感じで、とても砕けた調子で会話が始まります。
時には机の上に置いてあるジェリービーンズの入ったビンを指差して、食べていいかと聞きながら勝手に1つ2つ口に入れ、それから話を始める患者もいます。ざっくばらんな雰囲気です。
そして彼らは「こんな症状があって、こんなに苦しいんだ。夜も眠れなかった」などと、延々とアピールを始めます。向こうが勝手にしゃべってくれるので、私としては楽な問診です(適宜、話を軌道修正する必要はありますが)。中には、立ち上がってジェスチャーを交えながら症状を再現してくれる人、苦しさを訴えるうちに感情が高ぶって涙を流す人もいます。