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“You should come!”と言わなきゃ、他科の医師は来ない

2012/11/13
小林孝子

 日本人ほど英語にコンプレックスを持っている民族は少ないのではないかと思います。教材は星の数ほどあふれているのに、どうして話せないんだろう…。私もそんなふうに思っていたうちの1人でした。オーストラリアに住んで15年たった今でも英語は苦手です。ただ、最近になってその理由がだんだんと分かってきました。

「とりあえず」のお願いでは通らない
 私が英語に関して最もストレスを感じていたのは、救急部でレジデントをしていた頃でした。入院が必要な患者がいたら、該当する診療科のレジストラー(専門医になるトレーニング中の医師。医師になって4~9年目に当たる)に連絡して診察を頼むことはレジデントの仕事です。

 例えば、80歳の女性が転倒して足首を骨折したため救急受診。X線写真で脛骨のかなりのdisplacement(ずれ、変位)が認められる。こういったときは、整形外科のレジストラーに電話をして診察を依頼しなければいけません。

 しかし、彼らは常に忙しい。手術中でなかなか来てくれないことも多いし、そうでなくとも「受け持ちの患者数を増やしたくない」という意識がどこかにあります。ですから、うまいこと伝えなければ、「入院なんて必要ないから、松葉杖を渡して帰しなさい」「救急部の話なんだから君らの仕事でしょ。そっちで処置して。何日かして来院したら外来で診るから」などと言って、動いてくれないのです。英語が拙かった私にとって、電話口でX線撮影による脛骨骨折の所見と患者の状態を説明し、渋るドクターを救急部まで引っ張ってくるのは至難の業でした。

 最悪なケースは、うまくお願いを伝えられなくて、ため息交じりに「ほかのドクターに電話を代わってくれ」と言われたとき。あるいは、一方的に向こうから指示を伝えられたものの、早口だったり難しい英語だったりで内容を理解できないまま電話を切られ、どうしたらいいか分からずボーゼン。そんなことがたびたびあって、もう自己嫌悪の連続でした。

 後から思えば、うまく行かなかった原因は、私自身、伝えたいことを整理できずにいて、どうしてレジストラーの診察が必要なのか、はっきりと自覚していなかったからです。しかも、自信がないので、“You should come!”ときっぱり言えなかった。「とりあえず」「念のため」「自信がないから」「心配だから」「なんとなく」…、そんな姿勢でのお願いごとは絶対に聞いてくれません。

 先の例であれば、脛骨骨折の位置、複雑骨折や displacement の有無、Danis-Weber 分類で該当する型、患者のバイタルサインや病歴、血液検査の結果などに加え、「低栄養が疑われる」「独居で身寄りがなく、一人で歩けない」「入院してオペが必要」といったことをコンパクトに伝え、電話の向こうのレジストラーに理解させなければなりませんでした。1人の医師として、自信を持って。

 私がレジデントだからといって、レジストラーの医師たちが手取り足取り面倒を見てくれるわけはありません。レジストラーが私の伝えたことを勘違いして「患者を家に帰せ」と指示したとして、その通りに帰した後で病状が急変したら、彼らとしては「レジデントの説明から判断したんだ」となります。責任は私に降りかかってくるのです。そう自覚してからは、救急部に来るたいていの患者については、多少ましに説明できるようになりました。

叙述ができれば世界が広がる
 何でも教育のせいにするのはよくないかもしれませんが、「日本の英語教育は“叙述する(物事の状況などを順を追って説明する)スキル”を教えくれなかった」。このことをしみじみ思います。オーストラリア人は話し好きな人が多くて、どんなに小さなつまらないことも、はっきりと自分の意見を持って、相手の人が興味を持って聞いてくれるように話します。聞いていて、とても引き込まれます。

 例えば、「この間の週末、チャイナタウンに行って、小龍包を食べておいしかった」と言ったとして、たいていの人は“Oh,It sounds good.”と返しておしまいでしょう。「どこのお店?」くらいは聞いてくるかもしれませんが、どうおいしかったのか、どういう小龍包だったのかが最初に説明できていないので、会話が膨らみません。

著者プロフィール

小林 孝子

ビーンリー・ロード・メディカルセンターGPフェロー

1986年愛知医科大学卒業。2年の研修を経て同大第一内科に入局し、腎臓内科・透析を主に担当。92〜93年、Australia Sydney St.Vincent Hospital Garvan Institute Medical Resarch Bone & Mineral Divisionにて骨代謝の研究に従事。日本で博士号取得後の1995年、結婚のためオーストラリアへ移住。2回の妊娠・出産を経て子育てをしながらも、ゼロの状態から当地の医師免許を獲得するため勉強に励む。2002〜05年にかけてインターンおよびレジデントとして勤務する中、04年にAMC(オーストラリアの医師免許審査試験)を突破。06〜08年にかけてオーストラリアGP学会のTraining ProgramおよびGP Fellowship Examに合格。現在はブリスベンにてGP(general practitioner)として地域医療に携わる。趣味は仕事。「自分の診断が正しかったときは、本当にうれしい」

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