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「今日は君に苦言を呈する」

2010/12/28
河合達郎

太田和夫先生(1997年撮影)

 日本の透析医療は世界最高レベルにあります。米国と比べてみると、レベルの違いはまず透析クリニックの環境に見て取れます。日本のほとんどの透析クリニックで患者専用のロッカーがあり、患者さんはパジャマに着替えてリラックスして透析の時間を過ごします。テレビもあるのが普通です。一方、米国では、リクライニングソファのようないすに腰掛けて普段着のまま透析を受けるのが普通です。

 また、日本では80%以上の患者さんが内シャントで透析を受けていますが、米国では内シャントの普及率は50%以下で、そのほかの患者さんは人工血管(グラフト)または中心静脈に留置されたカテーテルによって透析を受けています。中心静脈カテーテルによる透析は敗血症を引き起こす危険性が高いうえ、中心静脈をつぶしてしまうため、なるべく早く内シャントかグラフトに切り替える必要があります。ただ、グラフトについても、血栓で機能不全になることが多くあります。米国では、こうした透析のブラッドアクセスによる合併症のために費やす医療費は年間30億ドル以上にも上り、内シャントの普及率を上げることが急務となっています。

 もっとも、日本の透析医療のレベルの高さは腎移植の普及が遅れていたことの結果でもあり、移植外科医として手放しでは喜べません。日本の透析患者数は現在29万人以上となっているのに、腎移植数は年間わずか1200例程度。これに対して、人口が約2.5倍の米国における透析患者数は約36万人で、腎移植数は年間1万6000例を超えています。日本では移植になかなか希望を持てないため、透析療法が米国よりも格段に優れたものに進化してきたという側面があるでしょう。

日本の透析医療の礎を築いた太田和夫先生
 日本における透析医療の基礎を築いたと言っても過言でないのが、東京女子医科大学名誉教授であった故・太田和夫先生です。非常に残念なことに、太田先生は2010年夏、享年79歳で亡くなられました。私は医学部を卒業してから先生のお世話になり、人生において大きな影響を受けました。今回は、この愛すべき偉大な先生の人生を振り返ってみたいと思います。

 私が先生に初めてお会いしたのは1980年の夏でした。当時私は医学部6年生で移植外科に漠然と興味を持っていたものの、腎移植をルーチンにやっている病院は日本にはまだ数えるほどしかありませんでした。

 そこで思い切って、当時最も多くの症例数をこなしていた太田先生に会ってみることにしたのです。慶應大学教授でエッセイストでもある阿川尚之さんが太田先生のことを評して「目がくるくるとまわる、智慧のあるフクロウ」とか「ダジャレを連発する小柄で精力的な先生」と書いていますが、私が最初に持った印象も「とにかく目がよく動く人だな」というものでした。結局、そのくるくる回る目を見ているうちに、催眠術にかけられたように即入局することになってしまいました。

 入局してからは、メスや鋏の持ち方から論文の書き方まで、それはそれは多くのことを学ばせていただきましたが、最も教えられたことは先生の生きざまでした。

著者プロフィール

河合 達郎

マサチューセッツ総合病院移植外科/ハーバード大学医学部外科教授

1981 年に日本大学医学部を卒業後、外科と臓器不全治療そして免疫学が交錯する移植外科に惹かれ、腎移植と透析医療のパイオニアであった太田和夫教授が主宰する東京女子医科大学腎臓病総合医療センター外科に入局する。91年にマサチューセッツ総合病院(MGH)移植外科にリサーチフェローとして留学し、A. B. Cosimi、David Sachs 両教授の下で3年間、移植免疫の研究に従事。94年に帰国、96年に東京女子医大第3外科准教授。97年に移植臓器の免疫寛容誘導を臨床で実現するために再渡米。アメリカ医師免許取得後、MGHの臨床スタッフとなり、2002年から臨床腎移植での免疫寛容誘導のための治験を開始した。薬のいらない臓器移植(免疫寛容)を標準的な治療とすることをライフワークとしている。08年にハーバード大学准教授、12年にMGH移植外科A. B. Cosimi Endowed Chair、15年より現職。 趣味は柔道(4段)。

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