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中年から米国で臨床医として働く秘策

2009/09/30
河合達郎

 人生短いもので、もう壮年と言われる年になってしまいました。そうは言っても、まだ人生を語るほど老成はしていないつもりですが、KUROFUNetから私の特異な経歴をぜひ開陳してほしいと強く要望され、筆を取ることにしました。

 米国に渡って医師として働いてみようと思う人には、(1)医学生で卒後研修を是非米国で受けてみたい、(2)日本である程度研修は終わったのだが、さらに専門性を高めるための研修を米国で受けたい、(3)今さら研修などする気はないが、自分の医師としての技量、あるいは研究してきたことを外国において試したい、といった動機があると考えられます。(1)と(2)については、いろいろな本も出ており情報が比較的豊富ですが、(3)については語られることがほとんどありません。私はこの(3)に該当します。

 40歳になってから渡米して、現在はボストンの教育病院でスタッフ・外科医として働いている私は、“例外中の例外”に属するでしょう。そのため、日本人に限らずいろいろな国の人によく聞かれるのは、「どうやって米国でレジデントもせずに、外科の臨床スタッフとして働けるようになったのか」ということです。どんな抜け道があるのだろうかと不思議に思われるのだと思います。

 そこで、私が知っている、中年から米国で医師として働くための“秘策”を、読者の皆さんにお伝えしようと思います。

 ちまたで言われていること、すなわち「米国で臨床医として働くには、USMLE(米国の医師国家試験)に合格し、レジデントとして教育を受けた上で、専門医資格を取ってからでないと米国の病院に採用されることはあり得ない」という“常識”は、おおむねその通りです。しかし、物事には何でも例外というものが付きものです。これこそが、米国らしさというべきものでしょう。

 米国では、ある病院がその医者をどうしてもゲットしたいと思ったら、実際には何でもする、というのが私の実感です。私の場合は、研究の成果を臨床に持っていくために、活動の場を米国に移さざるを得なかったわけですが、これからは日本にいても、研究または臨床で米国のレベルを抜きん出ていれば、米国の病院から引き抜かれるという時代が来るかもしれません。

 考えてみてください。昔はあの江夏豊さんでさえマイナーリーグでやっとだったのが、今では日本のスタープレーヤーが数多く大リーガーとして活躍する時代なのです。

著者プロフィール

河合 達郎

マサチューセッツ総合病院移植外科/ハーバード大学医学部外科教授

1981 年に日本大学医学部を卒業後、外科と臓器不全治療そして免疫学が交錯する移植外科に惹かれ、腎移植と透析医療のパイオニアであった太田和夫教授が主宰する東京女子医科大学腎臓病総合医療センター外科に入局する。91年にマサチューセッツ総合病院(MGH)移植外科にリサーチフェローとして留学し、A. B. Cosimi、David Sachs 両教授の下で3年間、移植免疫の研究に従事。94年に帰国、96年に東京女子医大第3外科准教授。97年に移植臓器の免疫寛容誘導を臨床で実現するために再渡米。アメリカ医師免許取得後、MGHの臨床スタッフとなり、2002年から臨床腎移植での免疫寛容誘導のための治験を開始した。薬のいらない臓器移植(免疫寛容)を標準的な治療とすることをライフワークとしている。08年にハーバード大学准教授、12年にMGH移植外科A. B. Cosimi Endowed Chair、15年より現職。 趣味は柔道(4段)。

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