わが国では昨今、医学部の定員を増やすべきか、医科大学を新設するべきかという議論が行われております。ところで、わが国にはどれだけの医師や医療従事者が必要なのでしょうか?
民主党のマニフェストには、先進国クラブとも言われるOECD諸国の平均医師数(人口1000人当たり医師3人)を目指して、医師養成数を1.5倍に増加させると記されています[1]。しかし、医療制度の異なる国家間で医師数を比較していることや、医療の"需要"に言及せずに医師の"供給"量を議論していることに疑問を抱いた方も多いかと思います。
アメリカで行われた医師の需給予測の研究を分析してみると、興味深いことに、日本と極めて似た議論が展開されていました。例えば、1970年代に医学部の定員を増やし、80年代に医師の過剰が懸念され、90年代まで実際に医師養成の抑制策が採られたことは、日本と極めて似ているでしょう。しかし、90年代後半~2000年代に入ると、「2025年には12.4万人の医師が不足する」と警鐘を鳴らす論文が発表され、現在では「近い将来に深刻な医師不足になる」という懸念が大勢を占めています。
驚くべきことには、アメリカの医師の需給予測は、政府や公的機関だけではなく、地方州政府、医学会、シンクタンクなどが自主的に行っており、その数は100以上にも上ります[2]。医療政策が大きく転換する際には、事前に科学的根拠に基づいた研究が行われてきました。
そこで今回のシリーズでは、「日本に医師・医療従事者はどれだけ必要なのか?」という議論を建設的に行っていただくための材料の一つとして、アメリカで行われた医師・医療需給予測の概略を紹介します。需給予測が行われた歴史的経緯、医療過疎地の医療を担う外国人医師、需給予測の方法、経済が医療の需要に及ぼす影響と話を進めていき、そして結びに、医師過剰説から医師不足説へと転換していくきっかけとして、最もインパクトを与えた研究の一つであるCOMPACCSプロジェクト(1995年)を紹介します。
「医師は過剰になるが偏在は解消されない」(1970~80年代)
アメリカにおける医師の需給予測の研究は、最古のものでは1933年に始まっていました[3](*注)。第2次世界大戦後はNational Advisory Commission on Health Manpowerが医師不足に警鐘を鳴らし(1967年)[4]、その報告を受けて1968~75年には医科大学の拡充が行われ、また外国医科大学の卒業生を積極的に受け入れるようになりました。この時期は、日本でも新設医科大学が開設された時期で、日米の類似性が見られるかと思います(1970~79年)。
*注:人口10万当たり140.5人の医師が必要で、10%の過剰が生じていると報告されました。
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著者プロフィール
永松 聡一郎
ミネソタ大学呼吸器内科・集中治療内科クリニカルフェロー
2003年東京大学医学部医学科卒。アメリカ内科専門医(ABIM)。帝京大学市原病院麻酔科、ミネソタ大学内科レジデントを経て、2008年より現職。専門分野は集中治療におけるQuality Improvement。病院間で異なる治療プロトコールの標準化や多施設間クリニカルトライアルのコーディネートを行っている。趣味は演劇、航空機。

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