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医師の労働時間を考える Vol.2
すべてはリビーの死から始まった

2009/12/16
永松聡一郎

 前回のブログでは、2003年から米国のレジデント研修医)の労働時間が最長週80時間に制限されている様子をお伝えしました。今回は、労働時間をそのように制限するに至った歴史的経緯を解説したいと思います。

リビー・ジオン事件(1984年)
 1984年3月、18歳の女子大学生リビー・ジオンが、ニューヨーク病院の救急外来に運ばれました。彼女にはそれまでの1週間ほど、発熱と耳の痛みがあったようです。時間は夜半を過ぎて、リビーは興奮し、体が震えている様子でした。救急外来に着いたとき、彼女の体温は39.2℃でした。

 リビーは救急外来で診察を受けた後、経過観察目的で一晩入院し、しばらくの間、点滴を受けることになりました。その後、強い悪寒(ふるえ)を示したので、メペリジン(Meperidine)という、現在でもアメリカで使われている鎮痛薬が注射されました。その2時間後、彼女の体温は41.2℃まで上がり、心肺停止状態に陥って翌朝には帰らぬ人となりました。

 彼女の父親シドニー・ジオンは、当然のことながら突然娘を失ったことに怒りました。彼はエール大学法科大学院出身で、検察官、小説家を経て、「New York Times」の特派員としてジャーナリズム業界で働いていました。彼は、病院、レジデント、監督責任のある指導医を訴えました。しかし、やがて法廷で明らかになる事実に驚愕することになるのです。

 もう少し詳しく、この事件を追ってみましょう。当日の晩、父シドニーはリビーの調子が悪いという知らせを受け、ジオン家のかかりつけの内科医に電話をしました。その内科医は、リビーを救急外来に連れて行くよう父親に指示しました。そこでリビーは救急医による診察を受けましたが、診断を確定できなかった救急医は、経過観察と点滴目的に入院することを勧めました。

 さて、入院の決まった患者が救急外来から病棟に移動する際には、プライマリーと呼ばれる主治医(もしくは主治チーム)が指定されます(詳細は前回のブログを参照)。アメリカ独自の医療文化として興味深いことは、患者を入院させる権利(これをprivilegeと呼びます)は、病院と契約をしている一部のアテンディング(attending)と呼ばれる指導医が持っており、この指導医が患者の入院の許可(accept)を出します。つまり、指導医が入院の理由に納得しない場合や、自身の専門分野ではないと判断した場合、患者は他の指導医から入院を許可されるのを待たねばならないのです。その晩のリビーの場合は、ジオン家のかかりつけの内科医を主治医として入院することが許可されました。

著者プロフィール

永松 聡一郎

ミネソタ大学呼吸器内科・集中治療内科クリニカルフェロー

2003年東京大学医学部医学科卒。アメリカ内科専門医(ABIM)。帝京大学市原病院麻酔科、ミネソタ大学内科レジデントを経て、2008年より現職。専門分野は集中治療におけるQuality Improvement。病院間で異なる治療プロトコールの標準化や多施設間クリニカルトライアルのコーディネートを行っている。趣味は演劇、航空機。

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