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アジア系は有名大学の入試にハンデあり?
医師の立場で感じた人種差別

2014/10/09
日比野誠恵

 2013年12月5日、南アフリカの人種差別主義政策アパルトヘイトを廃止した第8代大統領ネルソン・マンデラ氏が95歳で亡くなりました。彼は弁護士であり、反アパルトヘイトの闘士でした。27年間もの投獄生活を送った後、当事の南アフリカ大統領であったデクレアル氏と共にアパルトヘイトを廃止した功績が認められ、1993年にノーベル平和賞を受賞しています。

 私が小・中学生だった頃は、アパルトヘイトや白豪主義に関することが歴史のテストで頻繁に出題されたものですが、今や日本では色鉛筆の「はだいろ」が「うすだいだい(ペールオレンジ)」になっているそうです(子どもの日本語補習校で聞いて驚きました)。実に隔世の感があります。

 アメリカも奴隷制度の歴史を有し、つい最近まで人種差別が結構大っぴらに残っていました。今回は、マンデラ氏追悼の意味も込めて、個人的な経験を紹介しながら、医療の世界における人種差別について考えていきたいと思います。

20年以上前は「黒人の料理人でも大丈夫か?」
 1986~87年の間、私はインターンとして横須賀米海軍病院にお世話になりました。すなわち、アメリカの軍人と接する立場にあったわけです。その経験からすると、水兵のレベルでは特に人種差別を感じなかったように思いますが、それ以上のレベルでは、将校に白人以外の人種が少ないなど、人種差別の影を垣間見たような気がします。当時の外科スタッフのクリッテンデン先生は黒人とインディアンとの混血でしたが、「ほかの人より、ちょっと努力が必要なんだ」というようなことをおっしゃっていたことを覚えています。

 ちょうど、タレントのタモリ氏が、それらしい外国語のまねをしてバカ受けしていた頃です。今では“政治的によろしくない”(politically incorrect)ということで批判を受けそうですが。

 その後、メンフィスに赴くのですが、この辺りは“Deep South”と呼ばれる土地で、綿花の積み出しが重要な産業となっていました。綿花摘みは重労働のため、労働力としての奴隷がとても重宝されたようで、南北戦争の南軍の中核州でもありました。

 ある日、知り合いになった地元の人間と「ショーニーズ」というファミリーレストランに行ったのですが、突然「黒人の料理人でも大丈夫か?」という質問をされました。つまり、かつては「黒人の料理人が作ったものは食べたくない」という客もいたということなのでしょう。そう言えば病院の食堂でも、明示的な決まりがあるわけでもないのに、黒人とそれ以外の人種が座るテーブルがきれいに分かれていました。宗教に関しても、黒人用の教会と白人用の教会が別にありました。あれからもう20年以上がたっていますが、今はどうなっているのか、興味深いところです。

鎌状赤血球症患者の入院食はステーキとロブスター
 ピッツバーグ大学病院で過ごしたレジデント時代は、とにかく忙しかったのですが、多くのことを学びました。初めて鎌状赤血球症の患者を診療して、最初は「スゲー」と思っていたことを思い出します。鎌状赤血球症は遺伝子変異によるヘモグロビン異常という病態が解明された初の疾患ということで、基礎医学の観点からはとても興味深いのですが、実際の臨床となると、いろいろな意味で難しいということをすぐに思い知らされました。

 鎌状赤血球症でよく起こる病態に疼痛クライシスがあります。(鎌状赤血球症に限ったことではありませんが)客観的な指標がないこともあり、モルヒネ系鎮痛薬がどうしても多用されることになり、多くの患者がその依存症あるいは乱用者となってしまっているのが実情です。ということで、黒人の鎌状赤血球症患者は差別の対象になりやすいように思われますが、当時を思い起こすと、逆にそういうことがないように擁護されていたような印象を受けます。

 ある患者は、たまたま一般の入院病床が不足していたため、一般入院として高額の差額ベッドを当てがわれたのですが、夕食に高額なステーキとロブスターの「サーフアンドターフ」を注文して平気な顔をしていました。貧乏レジデントのわれわれからは、「そんな元気があるなら入院しなくてもいいんじゃないの?」とヒンシュクを買っていましたが…。

ミネソタ州はソマリア人のメッカ?
 そして、現在の私の拠点であるミネソタ州。1940年代には「最も人種差別が少ない」という理由で、日系人による米日系陸軍情報部の本部がミネアポリスのフォートスネリングに置かれていました。また、70~80年代になってもミネソタ州やウィスコンシン州はかなりリベラルで、ベトナム戦争に協力したモン族(ミャンマーやラオスなどの国境山岳部に住む民族)の人々を移民として多数受け入れたという歴史もあります。

著者プロフィール

日比野 誠恵

ミネソタ大学ミネソタ大学病院救急医学部准教授

1986年北里大学医学部卒。横須賀米海軍病院、セントジュウド小児研究病院、ピッツバーグ大学病院、ミネソタ大学病院を経て、1997年より現職。趣味はホッケー、ダンス、旅行など。

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