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「事故死の要因」1位は、外傷を抜いてモルヒネ

2013/11/01
日比野誠恵

 突然ですが、アメリカで最も処方されている薬剤は何でしょうか? 処方箋が要るということで、ちょっとした解熱薬や感冒薬は含まずにです。抗菌薬? それとも、高血圧やコレステロールをコントロールする薬剤でしょうか?

 実はここ20年ほどトップが続いているのは、モルヒネ系の鎮痛薬バイコデインVicodin:一般名ヒドロコドン・アセトアミノフェン合剤)なのです。この事実は、アメリカでのモルヒネ系鎮痛薬の乱用、それに伴う過量摂取による死亡の増加とも密接に関連しています。2008年には、アメリカにおける事故死の要因として「外傷」を抜き、「モルヒネ系鎮痛薬」がついに第1位となってしまいました[1]。

 というわけで、アメリカでは「処方箋の要る鎮痛薬乱用の大流行」(epidemic of prescription pain medicine abuse)[2]が重大な公衆衛生上の問題として認識されるようになり、一部の州や市、各種学術団体などが対策ポリシーを掲げる事態に至っています。

 今回は、事ここに至った経緯と現状を紹介したいと思います。日本にとっても、近い将来、「対岸の火事」ではなくなるかもしれないので。

最古(?)の薬、アヘンの歴史の光と影 [3]
 紀元前5000年頃に栄えたメソポタミアの都市国家シュメールの遺跡から発掘された粘土板には、アヘンに関する人類最古の記述が楔型文字で刻まれており、栽培・採取・生産法まで言及されているそうです。その後、紀元前1500年頃のエジプトでもアヘンが薬として使用されていた記録があるそうで、人類が初めて出合った薬だと言えるかもしれません。

 アヘン(opium)の語源は古代ギリシャ語のopionであり、「汁」(ケシ類のエキス)を意味するとか。有名どころでは ヒポクラテス、アレクサンダー大王、アラビア医学の最高峰アビケンナ、そしてリウマチ熱で有名なトマス・シデナムも使用していたようです。

 時をグッと下って1806年、ドイツの薬剤師フリードリッヒ・ゼルチュルネルによってアヘンの有効成分が初めて抽出され、ギリシャ神話の夢の神モルペウスにちなんでモルヒネと名付けられました。1853年には、スコットランドの医師アレクサンダー・ウッドが皮下注射法を開発し、鎮痛効果を上げる目的で多くの臨床医が手軽にモルヒネを使用できるようになりました。

 一方でアヘン戦争(1840~42年)の火種にもなり、南北戦争(1861~65年)では戦闘に対する恐怖心を紛らわすため大量に消費されて約40万人もの兵士がアヘン中毒になったという説もあります。戦後も兵士向けにアヘンが通信販売され、それによる中毒症状は「兵隊病(soldier’s disease)」として知られるようになったとのことです。第一次世界大戦(1914~1918年)でも、コカインと並んでモルヒネの使用と中毒が急増しました。

 ちょうどこの頃の1912年、オランダのハーグで万国阿片条約が調印され、アヘンをはじめモルヒネなどの麻薬類が統制の対象となりました。アメリカでも1914年に初の麻薬取締法であるハリソン麻薬法(Harrison Narcotics Act)が制定されました。

疼痛治療が市民権を得たのは最近のこと
 私が渡米した1980年代後半は、腹痛に対して外科医の診察があるまではモルヒネ系鎮痛薬を使わないのが一般的。患者も「モルヒネ系の鎮痛薬は中毒になるので使わないでください」と言う時代でした(今でもそう言う方はいますが、少なくなったように感じます)。

 1990年代後半になって画期的だったのは、虫垂炎患者に対して外科医の診察前にモルヒネ系鎮痛薬を投与しても診断や予後にマイナスの影響はないことが、いくつかの文献報告を通して確立されていったことです。さらに、この頃、一連の慢性疼痛症候群(線維筋痛症、慢性膵炎、慢性腰痛症を含む)の概念が確立されるとともに、疼痛に対してモルヒネ系鎮痛薬を含む、より積極的な治療が提唱されるようになっていきました。

 2001年には、ジョイントコミッション)が第5のバイタルサインとして「疼痛スコア」を導入し[4]、病院のカルテには10段階でスコアリングされるようになりました。アメリカ疼痛協会American Pain SocietyAPS)の発足は1977年のようですが、全米で多くのペインクリニックが立ち上がり、ペインドクターという概念も一般的に知られるようになっていったのは2000年代に入ってのことです。


 ジョイントコミッション:アメリカで1951年に設立された独立機関で、医療施設の質や安全の向上を使命とし、各施設の認定を行っている。近年はアメリカ国外の医療施設についても認定範囲を広げており、日本の亀田総合病院や聖路加国際病院も認定を受けている。

著者プロフィール

日比野 誠恵

ミネソタ大学ミネソタ大学病院救急医学部准教授

1986年北里大学医学部卒。横須賀米海軍病院、セントジュウド小児研究病院、ピッツバーグ大学病院、ミネソタ大学病院を経て、1997年より現職。趣味はホッケー、ダンス、旅行など。

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