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ボストンの爆破テロに医療者はどう対応したか

2013/07/18
日比野誠恵

ボストンにあるポール・リビアの像。独立戦争の契機となったレキシントン・コンコードの戦いで彼が敢行した「真夜中の騎行」は、今も愛国者の象徴としてよく知られている。ボストンマラソンは毎年、マサチューセッツ州の休日である「愛国者の日」に行われる。

 2013年4月15日。いつものようにリバーサイド病院で忙しく働いていた折、ふと患者のベッドのテレビを見ると、何やら深刻な事態が起こっています。何事か聞いてみると、ボストンマラソンのゴール付近で2発の爆発物が炸裂!?

 読者の皆さんもご存知の通り、「ボストンマラソン連続爆破テロ」が起こったのでした。「また物騒な事件が起こったか!」と思ったのは私だけではないようで、ベッドの患者も「また、とんでもないことが起こったよ…」と嘆きながらテレビに見入っていました。

 パソコンのメールをチェックすると、アメリカ救急医学会American College of Emergency PhysiciansACEP)の災害医療部から入信があり、「爆発外傷への対応」に関する情報を載せたウェブサイトが紹介されていました[1]。これまで私が対応にかかわった災害はミネアポリスで起こった幹線道路の橋落下事故だけですが、日頃から災害に対する準備を怠ってはならないことを再認識させられた出来事でした。

2発の爆弾が日常を切り裂いた!
 惨劇が起こったのは午後2時50分。ボストンマラソンのスタートから4~5時間ほどが過ぎた頃です。ちょうどレクリエーション志向の市民ランナーがゴールインする時分で、私の同僚のマクリーン先生が何年か前に参加したときも、このくらいのタイムで完走していました。

 12秒の間隔を置いて2回の爆発が日常を切り裂くと、周辺地区はただちに閉鎖されました。その内側で戦場のような光景が広がっていたことは想像に難くありません。現場はゴール付近だったため、医療班の方々が脱水や低体温症を起こす走者のために待機していたのですが、予期せぬ事態の最前線に立たされることになりました。

 まず大切なのは現場の安全確認ですが、ほかにも爆発物が潜んでいるかもしれません。生物学兵器や放射能兵器が存在する可能性も考慮しなければならないため、かなりの難儀だったはずです。その後は、医療班や救急隊だけでなく現場の観衆の皆さんも、歩くことができない負傷者の搬送を手伝ったということです。このとき、ベルトなどを即席の駆血帯として動脈出血に対処したことは、大変有効だったと報告されています。

 この間、救急隊から各医療施設へ、多数の負傷者を搬送可能かどうか打診されました。各施設では、関係する医療者を緊急招集し、オペ室や救急部での病床確保、放射線部や臨床検査部での受け入れ準備が進められました。大量の連絡が飛び交ったはずですが、携帯電話ではなくテキストメッセージまたはショートメッセージのサービスを使うことで、電話回線をパンクさせないよう配慮したそうです[2]。ちなみに、わが病院でも、この事件の直後にテキストメッセージによる緊急連絡テストが行われました。

 いくら優秀な外傷センターでも、キャパシティーを超える患者が殺到すれば、救命のための最適化はおぼつかなくなります。その点、ACEPのロスナウ次期会長は声明文で、一つの施設に集中させず適切な施設へ適切な負傷者を搬送したボストンの救急隊を称賛していました[3]。負傷者は7つの外傷センターを含む27施設に搬送されたそうです。

爆発外傷は必須の知識
 “9.11”の後、ACEPや疾病予防管理センター(CDC)のウェブサイト[4]には 災害医療領域の中でも、特に爆発外傷に関する情報が手厚く掲載されるようになりました。わが病院のトイレのドアにも、しばらくの間、爆発外傷の対応フローを周知するポスターが張ってあったものです。

 おおまかに言えば、爆発外傷は次のように理解できます。爆発物にはlow order explosive(低エネルギーのもの)とhigh order explosive(高エネルギーのもの)があり、後者では爆風自体による致死率が特に上昇します。また、閉鎖空間で爆発が起こると、損傷の重症度が高まります。爆発による損傷は、次の通り第1~4次までに分類されます。

・第1次損傷:爆風による管腔臓器の圧力損傷(肺、腸管、鼓膜など)
・第2次損傷:主に貫通性外傷(爆弾片などによる)
・第3次損傷:主に鈍的外傷(爆風によって被害者が吹き飛ばされることによる)
・第4次損傷:その他の損傷すべて(クラッシュ症候群、火傷、内科・精神科疾患を含む)

著者プロフィール

日比野 誠恵

ミネソタ大学ミネソタ大学病院救急医学部准教授

1986年北里大学医学部卒。横須賀米海軍病院、セントジュウド小児研究病院、ピッツバーグ大学病院、ミネソタ大学病院を経て、1997年より現職。趣味はホッケー、ダンス、旅行など。

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