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これは珍しい! 弾丸が回りまわって右心室へ

2013/03/27
日比野誠恵

写真1 弾丸が胸部中央に見られます。左脇腹から心臓を貫通したにしては、状態は随分とstableなので、「どういうことだろう?」と皆で首をかしげました。

 ある金曜の夜、ミネソタ大学リバーサイド病院の救急部を若いカップルが受診しました。ミネアポリスのダウンタウンにある美しい大聖堂の脇を通る高速道路・ルート94。ここを走っていて流れ弾に当たったというのです。この辺りはそう危ない場所ではないはず。「物騒になってきたのかな?」という思いとともに、「また、嘘をつかれているのかな?」という疑念も、われわれの頭をよぎりました。

 というのは、一般的に言って、この辺りで救急部を受診する患者の半数程度は受傷や受診の理由について何らかの“嘘”をついているという現状があり、特に銃創ならば犯罪に関係している可能性は高いからです。その上、後述するように彼には銃創痕という“前歴”もあったのです。

アメリカの外傷センターは「1」が最高レベル
 トリアージの看護師は即座にわが同僚のムローゼック医師を呼び、蘇生室での初期治療が開始されました。確かに、男性は左脇腹を撃たれており、女性の方は右上腕に銃創がありました。

 重症外傷は、急性冠症候群や脳梗塞と並び、病態の認識と同時に迅速かつ適切な対処を要する状態です。そのため、日本でもテレビドラマなどで知られているコードブルーのほかに、「トラウマコード」という対応システムが確立しています。具体的には、体幹部の銃創(gun shot wound;GSW)や意識障害、低血圧、低酸素が認められたり、受傷機転から重症が予測されたりする場合、外傷外科医、麻酔科医、診療放射線技師、呼吸療法士、薬剤師などのスタッフがポケットベルや館内放送で呼び出されます。

 アメリカの外傷センターは、重症患者を集約化するという意味では日本の救命救急センターの概念と似ています。歴史をひもとくと、1960年にメリーランド州のボルチモアで初の外傷センターができ、有名なショックトラウマセンターとして現在に至ります()。第2次大戦中にアメリカ陸軍軍医として活躍したアール・アダムス・カウリー先生がボルチモアに来られ、外傷治療における「ゴールデンアワー」の概念を提唱されたことが大きなきっかけとなったようです。

 カウリー先生は重症外傷後の転帰を大きく3群に分け、第1群を「即死」、第2群を「受傷から約1時間の間に迅速かつ適切な治療を施せば救命可能」、第3群を「数日~数週後に多臓器不全で死亡」としました。そして、第2群を救命できる受傷後1時間程度を「ゴ−ルデンアワー」と呼んだのです[1]。その後の臨床研究の積み重ねにより、一刻も早く外傷センターへ搬送することで、救命はもちろん神経学的予後が改善することも報告されています[2]。

 外傷センターは、各自治体によりレベルが指定され、アメリカ外科学会外傷委員会American College of Surgeons Committee on TraumaACS COT)により認証されます[3]。最高レベルは1で、自治体によりますが5まであります。「3次」が最も高度な救急医療機関となる日本とは正反対です。

 レベル1と2は、ほとんどの外傷に対応できるセンター。両者の違いは、レベル1の方が研究・教育に特に力を注いでいるという点です。レベル1および2の施設では、トラウマコードの際、外傷外科の指導医が20分以内にベッドサイドでマネジメントを行える体制にあることが必要です。なお、リバーサイド病院を含むミネソタ大学病院はレベル2の認証を受けています。

銃の国の懲りない面々?
 カップルの男性(21歳)は既往歴として足に銃創がありました。今回は左脇腹上部から体幹部への銃創で、血圧低下や頻脈、頻呼吸などはなく、FAST(focused assessment of sonographic exam in trauma:ベッドサイドで腹腔内出血を確認する超音波検査)にも異常がないようでした。

 もっとも、体幹部の穿通性外傷(特に銃創)では、あっという間に病態が悪化することもしばしば。外傷外科の指導医が到着して、再びFASTに異常がないことを確認しましたが、どうも弾丸が胸部中央に見られるようだということもあり(写真1)、もう1人の外傷外科指導医の応援を得て、迅速にオペ室へ移されました。


 一部の文献では、テレビドラマ「ER」のモデルにもなったシカゴのクック郡病院が、1966年に最初の外傷センターになったとも言われています。

著者プロフィール

日比野 誠恵

ミネソタ大学ミネソタ大学病院救急医学部准教授

1986年北里大学医学部卒。横須賀米海軍病院、セントジュウド小児研究病院、ピッツバーグ大学病院、ミネソタ大学病院を経て、1997年より現職。趣味はホッケー、ダンス、旅行など。

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