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アイスホッケーとの出合い

2010/01/28
日比野誠恵

 私は東京で生まれ育ったので、アイススケートに触れる機会はほとんどありませんでした。せいぜい、後楽園でローラースケートを2~3回、国立代々木競技場の体育館でアイススケートを1回体験したぐらいです。ですが1972年の札幌オリンピックで、若林兄弟(日系カナダ人でしたが日本国籍を取得)がアイスホッケー日本代表として活躍し、その後も西武鉄道や国土計画のアイスホッケー部(現・SEIBUプリンス ラビッツ)の選手として活躍していたことは、よく覚えています。

 またオリンピックでは、ソ連とチェコのチームが強かったことは覚えていますが、1980年に「氷上の奇跡」(miracle on ice)といわれた、アメリカの大学生中心のチームの話は、ずっと後になって知りました。ミネソタ大学のハーブ・ブルックスがヘッドコーチを務めた大学生中心のチームが、前哨戦では1-10とソ連に大敗したにもかかわらず、本戦でソ連を破って金メダルを獲った歴史的な試合です。ESPN(アメリカのスポーツ専門チャンネル)の「印象に残ったスポーツ史」で常にベスト10の上位にランクされ、映画にもなりました。

ピッツバーグ、そしてミネソタの冬
 私がペンシルバニア州のピッツバーグでレジデントをしていたとき、NHL(national hockey league)の「ピッツバーグ・ペンギンズ」にスーパースター選手のマリオ・レミュー(通称スーパーマリオ)がいました。そのころは彼の絶頂期で、スタンレーカップ(プレーオフの優勝チームに贈られる杯)を2年連続で獲得していました。病院からチケットをもらって試合を観戦し、感動したのを覚えています。しかし、当時レシデントだった私に自由な時間はあまりなく、運動といえば同僚とテニスをする程度で、まさか自分がアイスホッケーをやることになろうとは考えてもいませんでした。

 ミネソタは降雪量はそれほど多くありませんが、気温がかなり低くなるので、一度降った雪は春になるまで溶けません。ミネソタが「アメリカの冷凍庫」と呼ばれるゆえんです。ピッツバーグに比べて一段と寒いと聞いていましたが、私は比較的すぐに慣れて、とりあえず地元の人のまねをしてクロスカントリースキーを始めました。ちょうどローラーブレード(インラインスケート)がはやっていたので、夏は湖の周囲を回るトレイルを楽しんでいました。

著者プロフィール

日比野 誠恵

ミネソタ大学ミネソタ大学病院救急医学部准教授

1986年北里大学医学部卒。横須賀米海軍病院、セントジュウド小児研究病院、ピッツバーグ大学病院、ミネソタ大学病院を経て、1997年より現職。趣味はホッケー、ダンス、旅行など。

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