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日本語が下手な日本人

2013/08/07
岡野龍介

インディアナ大学麻酔科の「日系」麻酔科医たち。右端のDavid Nakata氏は麻酔科准教授でレジデンシープログラムディレクター。日系3世で日本語は全く話せませんが、英語の成績はやはり決して優秀ではなかったそうで、「日系人の家庭で育ったことは少なからず影響があると思う」とのこと。左から綾部健吾、片岡誠、森田泰央の3氏は現在レジデントで、皆、私と同様にアメリカで麻酔を学ぼうと、日本から海を渡ってきた同志です。右から2人目は筆者。

 今回は、医療の話から少し外れて、アメリカでの学校教育およびアメリカで育つ日本人の子どもの言語発達についてお話ししたいと思います。

 そもそも私がアメリカに住んでみたいと思った理由の一つは、子どもの学校教育システムにありました。アメリカの学校教育に対して、「詰め込み教育ではなく、独創性が重視され、日本のような受験競争からは無縁のゆったりとした教育が受けられる」という漠然としたプラスのイメージを持っていたのです。

 中学・高校と日本の受験戦争の中をひたすらかいくぐってきた私としては、「自分の子どもたちにはもっと余裕のある教育を受け、有意義な子ども時代を過ごしてほしい」という思いがありました。それに、世界の標準語である英語を自在に操れるようになれば、子どもの将来の可能性もずいぶん広がるだろうと考えたのです。

バイリンガルどころか「ハーフリンガル」に…
 ご存知のように、アメリカで主に使われるのは英語です。わが家には現在4人の男の子がいますが、渡米時に下の2人はまだ生まれておらず、長男は4歳、次男は1歳半で、これからいくらでも言語を習得できるという年齢でした。「英語は保育園や幼稚園、学校で勝手に覚えてくるだろう」という予測の下に、家庭では日本語のみで会話するという方針で子どもを育てました。日本語を学ばせるという目的もありましたが、一日中仕事で英語を使って疲れて帰宅した後に、自分の子どもとまで英語で会話などしたくないという親側の事情もありました。

 それまで私は、日本語を母国語とする日本人の両親に育てられている子どもが英語の国アメリカで育てば、当然のごとく日本語と英語のバイリンガルに育つと思っていました。ところが、渡米前にテレビの番組で、「子どもをバイリンガルに育てるのは意外に困難で、下手をするとどちらの言語も不完全な『ハーフリンガル』になってしまう危険性さえある」と耳にしたのです。それでも「そんなこともあるのか。まあ、うちは大丈夫だろう」と、当時は高をくくっていました。

 さて、アメリカ生活も5年目に入った2008年頃、ついに大変なことに気づきました。以前から薄々感じてはいたのですが、子どもたちの日本語がおかしいのです。長男は小学校3年生、次男は小学校1年生だというのに、どちらの話す日本語も日本の幼稚園児レベルに思われます。正確に測定したわけではありませんが、語彙は著しく不足し、「てにをは」の使い方も不正確。少しでも複雑なことを伝えようとすると、言いよどんで口ごもる。その上、知らない日本語の単語は英単語に置き換えて話すので、こんな具合になっていました。

 「パパ、outsideでbasket ball遊んでいい?」
 「道に歩いてたら、転んで、頭にたんこぶがついて、足に血が出た!」

 毎週土曜日に欠かさず通わせていたインディアナ日本語補習校(※1)の宿題は、問題文の意味が分からなくて解けないことがよくあり、漢字の読み書きを一生懸命やらせても、使う機会がないので片っ端から忘れていってしまいます。漢字があまり得意ではないと、日本語の本を読むのが苦痛になり、読書から遠ざかってますます日本語の発達が遅れるという悪循環です。息子たちの拙い日本語を聞き慣れてしまった頃、赴任したばかりの日本人家族の小学生が話すやけに流暢な日本語に驚いてしまったこともありました。


※1 アメリカには各地に日本人学校、日本語補習校というものがあります。シカゴなどの大都市には全日制の日本人学校がありますが、インディアナにあるのは、毎週土曜日のみ午前9時から午後2時まで授業が行われる日本語補習校です。

著者プロフィール

岡野 龍介

インディアナ大学病院麻酔科アシスタント・プロフェッサー

1962年ニューヨーク生まれ。1988年産業医科大学卒。1993年に新日鉄広畑病院で麻酔科を設立、手術室・ペインクリニック・救急部の設計に携わる。10年間勤務の後、渡米。2003年インディアナ大学病院麻酔科レジデント、2007年シンシナティ大学病院ペインフェローを経て、2008年より現職。米国麻酔専門医。趣味はサイクリング、料理、日曜大工、映画鑑賞など。

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