日経メディカルのロゴ画像

言霊と縁起と癌診療

2015/02/09
内野三菜子

 前回(「自らの言葉を、その身と共に」)の続きから始めます。パキスタンとアフガニスタンの国境付近の出身である60歳代後半の女性患者とコミュニケーションを図ることに難渋し、ついに患者自身が病気について、治療についてどう思っているのかは分からないまま治療を終えようとしていました。

「病人が家にいるなど縁起でもない」で癌治療を中断
 乳癌放射線治療では、治療が進むにつれて皮膚の色調や乾燥の具合が変わり、ヒリヒリする痛みなども出てきます。治療期間は、初期の乳癌でリンパ節転移がなく腫瘍が小さい場合の乳房温存術後であれば、おおむね3週間くらいです。だいたいどの症例も担当のナースと情報を共有しながら治療が進められていきます。

 当然、この患者の件にもナースがかかわっており、本人から聞き取りたくても聞き取れないのは単純に言葉の壁のせいだけではないという点で、私たちの見解は一致していました。

 「では、この患者にとって結局、癌って何だろう」。やはり、それは原始的な何らかの「災い」や「呪い」で、呪術師に「祓って」もらうような類のもの…というとらえ方になるのでしょうか。だとすれば、この患者も、もしカナダにいなかったら、あるいは母国でも医療アクセスの悪いところだったら、何らかの「お祓い」をしてもらうだけでいつか癌が育ち、表面から自壊しても「分からない」と泣き続けるしかなかったのでしょうか。「その可能性は十分あるだろう」とナースは言っていました。

 ここで私はふと思いました。「ここまで管理され、支配されているのなら、逆に『縁起が悪い』と家から追い出されたりすることはないかもしれない」と。確かに、それはないようです。現に、仕事の都合を全面的に押し出しはしても、家族はこうして患者に付いて来ているわけですから。むしろ、そう言った私にナースが軽く驚いていました。

 私がそんなことを思ったのは、日本で担当した、とある患者を思い出したからでした。その女性は50歳代後半だったでしょうか。残念ながら進行例で、以前に乳房切除術を受け、切除術後の胸壁に対する放射線治療を終えていましたが、乳癌のあった乳房と同じ側の鎖骨上にリンパ節転移が新たに生じたため、そこに放射線治療を行えないか、ということで当科を再診で訪れていました。

 その病巣は前回の照射野の外で、リンパ節領域を含めて治療することは十分に可能だったため、約6週間かけての治療を提案したのですが、その患者は色良い返事をしませんでした。「先生、そんなに長期間は通えません」と言うので理由を聞くと、「毎日、日中に家を空けると、仕事もせずにほっつき歩いているだらしのない嫁だと言われる」ということでした。「治療のためでも?」と尋ねると、「これで癌が再発したとか言おうものなら、今度こそ家を出されます。絶対に姑には言えません」。お前の心がけが悪いから再発した、病人が家にいるなど縁起でもない、世間に体裁が悪いと責められる、というのです。

 いやいや、そんな心がけだけで再発を防げたらどんなにありがたいことやら……。とこちらは思っても、21世紀の日本にあってさえ、患者とお姑さんとご近所の方の捉え方は異なるようです。結局、その患者は治療を中断してしまいました。その後は残念ながら追跡できていません。

各人の望むかたちで癌と付き合ってもらえたら…
 そんな日本での話をカナダのナースにしたところ、実に率直に驚いていました。「日本は世界で最も進んだテクノロジーの国ではなかったの? 『縁起』だなんて、未開の奥地の迷信でもあるまいし!」

著者プロフィール

内野三菜子

国立国際医療研究センター病院放射線治療科

1998年東京女子医大卒。東京医療センターにて外科研修医。聖マリアンナ医大放射線科、埼玉医大放射線腫瘍科を経て、2010年1月からトロント大学プリンセスマーガレット病院放射線腫瘍科。2013年7月から現職。趣味は、カナダ在住時に習い始めたカリヨン(カナダに11台しかない楽器)。

この記事を読んでいる人におすすめ