日経メディカルのロゴ画像

コスモポリタンなクリニックへようこそ

2011/04/12
寺川偉温・瑠奈

全員ではありませんが、世界各国から集まった、当クリニックの医師たち(前列右端が筆者、左から3番目が妻の瑠奈です)。

 ホーチミンの寺川です。前回は、なぜ私たち夫婦がベトナムへ来たかを紹介しました。今回は、ベトナムという国、ホーチミンという都市、そして私の勤務するクリニックについて紹介したいと思います。

「東洋のパリ」、サイゴン
 かつてホーチミンはサイゴンと呼ばれていました。しかし、ベトナム戦争でサイゴンを拠点としていたベトナム共和国(南ベトナム)が敗れ、サイゴンはベトナムを独立へと導いたベトナム民主共和国(北ベトナム)の指導者ホー・チ・ミン(胡 志明)にちなんで改名されました。

 サイゴンは1850年頃から約100年にわたってフランスの統治下にあったため、フランス文化の影響が色濃く、フレンチコロニアルスタイルと呼ばれるおしゃれな洋風建物が至るところに見られます。熱帯気候に属し1年を通して温暖で(暑く)、火炎樹(frame tree)の花が咲き乱れる町並みの美しさは、かつて「東洋のパリ」とうたわれました。そんな町に暮らす人たちは、今でも愛着を持って「サイゴン」と呼んでいます。

 こちらに暮らす少し高齢の日本人は、今のベトナムを見て「戦後の日本のようだ」と言います。ごみごみした古い町並の中に次々と新しいビルが建っていく姿は、日本の戦後から高度成長期の姿に重なるのかもしれません。確かに、町には活気がみなぎっています。その理由の一つは、若者が多いことだと思います。ベトナム戦争の影響もありますが、40歳以下が全人口の実に80%を占めるという状況は、老いゆく日本との大きな違いでしょう。

「ヒューマンスクランブル」のクリニック
 私の勤務するファミリー・メディカル・プラクティス・クリニックは、ホーチミンの中心部にあります。非政府組織(NGO)のスタッフとして長くベトナムで活動していたイスラエル人医師のラフィ・コット院長が、ベトナムの医療の実態を知り、医療のレベルを少しでも上げたい、ベトナムにも世界水準の技術と設備を持った病院を作りたいという理由で、1994年、ハノイにクリニックを立ち上げました。

 その後、2000年に分院としてホーチミンに、私が現在勤務するクリニックを開院しました。ベトナム中部のダナンにも分院があります。完全にプライベートなクリニックで、駐在員向けの保険や海外旅行保険、あるいは任意加入保険に入っているか、医療費を全額自費で払える人が主な患者です。

 戦後のベトナムはアジアで最も貧しい国の一つでしたが、1986年のドイモイ政策により経済は発展の兆しを見せ始め、2010年の経済成長率は6.9%(見込み)と、シンガポールや中国に並ぶ高い水準を誇っています。今やホーチミンはアジアの中でも特に成長が期待される都市となっています。

 この成長の可能性に引かれて、多くの企業や人々が世界中から集まってきます。私たちの患者の多くは、そうしてベトナムへやって来た駐在員とその家族です。また、ベトナムには多くの旅行者も訪れます。旅先で病気にかかったり(一番多いのは下痢です)、けがをした人も、当クリニックにやって来ます。

著者プロフィール

寺川 偉温

ファミリー・メディカル・プラクティス・ホーチミン内科医

2002年、浜松医科大学医学部を卒業し、同第一内科入局。聖隷三方原病院で内科研修後、焼津市立総合病院で消化器内科として勤務。2009年より現職。「週末はもっぱら子どもと遊んでいます。毎日暑いのに海が近くにないのが、ホーチミンの難点です」


寺川 瑠奈

ファミリー・メディカル・プラクティス・ホーチミン小児科医

2003年、浜松医科大学を卒業し、同小児科入局。浜松医科大学医学部附属病院小児科、NICUを経て、社会保険浜松病院、榛原総合病院、焼津市立総合病院で小児科医として勤務。2009年より現職。第2子はベトナムで出産。好きなことは、旅行、散策、ヨガ、買い物、読書、子どもと遊ぶこと。「特に、甘いベトナムコーヒーはやめられません」

この記事を読んでいる人におすすめ