
ナイチンゲールと同じポージングで、看護研究・教育への熱意を燃やす筆者。
初めまして!喜吉テオ紘子です。この連載では、日本で看護師として働いていた私がアメリカの看護大学院へ留学し、現地で就職して自分なりの看護を追い求めていく様を、サンフランシスコよりお伝えしたいと思っています。第1回目は、私の留学までの道のり、そしてカルフォルニア大学サンフランシスコ校(UCSF)看護大学院について紹介します。
聖路加看護大学を卒業した私は、成人慢性期看護を希望して虎の門病院分院(川崎市高津区)の肝臓内科と精神科の混合病棟で働き始めました。ミスをしませんように――そう唱えながら、責任感でコチコチになって毎日病棟に向かいました。今でも当時の患者さんのことはよく覚えています。この病棟では、慢性疾患を持つ患者さんのたくましい精神力と様々な「生き方」を学ばせていただきました。
皆が背中を押してくれた
私は学生時代から人一倍、医療制度や看護の質に興味を持っていました。そして臨床経験を積む中で、これらの重要性を身を持って感じるようになり、自分なりの「Why?」に対する解決策を追究するために、大学院進学を本格的に考え始めたのです。
先輩から「日本の大学院では、英語の文献を読むことが多い」と聞き、「どうせ英語で勉強するのなら、現地に行った方がいいのかな」と思いました。私は中学生のときに日本に戻った帰国子女ですが、そのレベルで止まっていた英語力を磨き、看護と英語を活用したキャリアを築きたいという思いもありました。
それに、日本の大学院で看護管理を勉強するとなると、進学先は10校ぐらいに限定され、その教員も数少ない状況でした。慣れないパソコンを使ってインターネットで調べてみると、アメリカの大学院は教員数も充実しており、医療の合理化・効率化のノウハウを教授することにも長けているように思えました。
こうしてアメリカの大学院への進学が選択肢に入ってきました。ただ、私の周囲の留学経験者は、大学の偉い先生ばかり。若くして留学することに迷いがありました。そこで、私が憧れていた岩井郁子先生(元・聖路加看護大学看護管理学教授、現・同大学名誉教授)に相談しに行ったところ、「若いうちに大学院に行くことができれば、その経験をキャリアに生かせる期間が長くなるから」と勧めてくれました。