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「公式」なき時代の若人に贈る3つのアドバイス

2011/08/25
市瀬 史

2011年1月、ベルギーのルーベン大学にてレクチャーする筆者です。

 このブログの影響か、最近、日本の医学生や若い医師たちからキャリアの相談を受ける機会が多くなりました。細かい内容はそれぞれ違いますが、だいたいのところ、日本での医師・医学者としての将来について不安を抱いている人が多いようで、私のように「アメリカに臨床留学して医師・医学者としてやっていくにはどうすればいいか?」という質問をよくされます。

こうすれば成功できる、そんな「公式」はない
 先日も、短期留学中の日本の医学生が、わざわざ私のラボまで同じような相談をしに来ました。こういう場合に必ず繰り返される受け答えがあります。

医学生 「先生は何年くらいアメリカにいらっしゃるのですか?」
筆者 「もう、かれこれ16~17年になるかな」
医学生 「ひえ~、すごいですね。ということは、もう、日本には帰らないということですね?」
筆者 「いや、帰るかもしれませんよ、いつかは。今のところ、特に予定はないけれど」
医学生 「えっ? そ、それはどういうことですか?」
筆者 「だって、5年先のことなんて、誰にも分からないでしょ」
医学生 「…」

 そのときもこんな調子で、自分が暗中模索しながらやってきた経験や、他の人から聞いた話などを交えて1時間ほど相談に乗りました。しかし、その学生は何となく煮え切らないような顔をして帰っていきました。

 相談を受けた直後は忙しくて、彼の反応について考える時間がなかったのですが、後から振り返ると、「こうすれば私のようになれるという『公式』のような答えを、彼は期待していたのかもしれない」と思い当たりました。あるいは、アメリカでこんなやり方をすれば、こういったキャリアプランが広がるんだよ、という未来の保証が欲しかったのかもしれない。しかし、残念ながら、そんな「公式」や「保証」はありません。

 私が学生の頃までは、日本の医学界で活躍している人といえば、アメリカで基礎研究に数年励み、大きな業績を残して凱旋帰国し、一流大学医学部の教授になった人。またはアメリカで数年の臨床研修を経て最先端の医療技術を日本に輸入した人たちでした。ここには非常に分かりやすい「公式」がありました。

 しかし、日本の医学界を取り巻く情勢は大きく変わってきました。新臨床研修制度がスタートし、医局制度の存続が危ぶまれるなど、日本の医師のキャリアパスも大きく変わりつつあります。以前の「公式」の有効性もたいぶ怪しくなってきました。

 もちろん、アメリカの医療も例外ではありません。私がレジデントを始めた頃に比べると、医師を取り巻く環境はずいぶん変わりました。それも概して「やりにくい」方向に変わってきたように感じます。例えば、私がレジデントを終えてフェローになったばかりの頃は、研究をしたいという希望があれば、誰にでも場所と時間が与えられました。今では、自分で研究費を獲得してこない限り、週に1日の研究日を取ることすらままなりません。アメリカ国立衛生研究所(National Institutes of Health; NIH)の予算も減って、20年前ならば30~40%だった研究費獲得率は10%以下にまで落ち込んでいます。

 臨床現場を取り巻く環境も変わってきています。例えば、私が勤務するマサチューセッツ総合病院の心臓外科の手術室には、私たち心臓麻酔科医の手伝いをする経験豊かな麻酔科専属の看護師が8人ほどいましたが、経費削減のため、2年ほど前に全員が辞めさせられました。その看護師たちがしていた仕事は、もちろんレジデントや私たちスタッフがすべて肩代わりすることになりました。病院全体でも看護師の数が1割ほど減らされました。この人員整理があって、医師の給与は今のところ大きく下がってはいませんが、いわゆる「オバマケア」の影響で医師の収入もこれから大きく減少すると言われています。

著者プロフィール

市瀬 史

ハーバード大学医学部教授
/マサチューセッツ総合病院麻酔集中治療科・麻酔医

1988年、東京大学医学部卒業。1990年マサチューセッツ総合病院麻酔科レジデント、同フェロー。1995年、帰国して帝京大学医学部附属市原病院麻酔科講師。1998年に再渡米してハーバード大学医学部・マサチューセッツ総合病院麻酔科アシスタント・プロフェッサーを経て、2014年1月より現職。専門分野は心臓麻酔、心筋細胞の生理学、一酸化窒素や硫化水素による細胞保護、敗血症と心肺蘇生の分子生物学、人工冬眠の研究。趣味はスキー・テニス・ゴルフ・読書・映画鑑賞。レオナルド・ディカプリオと「The Departed」で共演しました(エキストラですが)。

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