
長野冬季オリンピックのアルペンスキー複合の金メダリスト、オーストリアのマリオ・ライター選手とのツーショット。懐かしい思い出です。
バンクーバー冬季オリンピックが閉幕し、日本は銀メダル3つと銅メダル2つで、金メダルはゼロという結果に終わりました。私は日本のアイススケート発祥の地である諏訪湖の畔、長野県下諏訪町に生まれ、大学時代は競技スキーに明け暮れた関係上、ウィンタースポーツに対する思い入れは人一倍深いものがあります。
長野冬季オリンピック(1998)では、アルペンスキー会場のドーピングコントロールの責任者として参加もしました。ですから今回のオリンピックも、眠い目をこすりながら毎晩テレビで日本選手を応援しました。特に、フィギュアスケート女子シングルの浅田真央とキム・ヨナ対決は、大変に見応えがありました。浅田選手は頂点に立つことができませんでしたが、2014年ソチ冬季オリンピックでの活躍を期待しましょう。
金メダリストからの転身
さて、フィギュアスケート女子シングルの金メダリストというと、2002年ソルトレークシティー冬季オリンピックのサラ・ヒューズ(アメリカ)を思い出します。当時17歳の新星でしたが、フリースケーティングの高得点で逆転に成功し、金メダルを獲得しました。彼女は、今回のバンクーバーにもアメリカ選手の応援に来ていたようで、観客席にいる様子がテレビにも映っていました。サラ・ヒューズは、既にスケートからは引退して名門イェール大学医学部に在学中で、医師になることを目指しているそうです。
フィギュアスケート女子シングルの金メダリストから医師に転身するのは、サラ・ヒューズが初めてではありません。1956年のコルティナダンペッツォ冬季オリンピック金メダリストのテンリー・オルブライトという女性は、1961年にハーバード・メディカルスクールを卒業して外科医になっています。
また、1980年のレークプラシッド冬季オリンピックで男子スピードスケート500m、1000m、1500m、5000m、10000mの全5種目で金メダル(!)という快挙を成し遂げたエリック・ハイデンが医師になったこともよく知られています。金メダルの威光もあってコマーシャル出演の話が殺到したそうですが、「金メダルを金もうけに使いたくない」と断り、しばらくは自転車競技のロードレースで活躍した後、医師に転身しました。彼は1991年にスタンフォード大学医学部を卒業し、現在に至るまでカリフォルニア州サクラメントで開業の整形外科医をしているそうです。
「だからどうした」と言われそうですが、これらのケースは、アメリカの医師の中には非常に多彩なバックグラウンドの持ち主がいることの一つの表れです。