
「ハーレー・ストリート」という名前は「プライベートクリニック」と同義語と言っていいほどです。この通りの両側には、端から端までプライベートクリニックがずらりと並んでいます。
前回はイギリス医療の根幹とも言えるナショナル・ヘルス・サービス(national health service;NHS)について書きましたが、今回はNHSと併存する「プライベート医療」を紹介します。
卒業を迎える直前のある日、医学校に「ファイナンシャル・アドバイザー」と名乗る人たちが数人やって来ました。彼らは医学生を対象とした説明会を開き、卒後の「経済面から見た人生設計」と「資産運用」の仕方について簡単なプレゼンを行い、自分たちの会社の宣伝をしていきました。医学生時代は親からの仕送りや奨学金、バイトで稼いだ小遣いで暮らしてきた私たちにとって、お金のことについて長期的展望に立って考える機会はこれが初めてでした。
ファイナンシャル・アドバイザーが真っ先に説明するのは
興味を持った私はその会社に早速アポイントを取り、ロンドンの金融街シティのど真ん中にそびえ立つビルに出向きました。リチャードという大柄な男性が丁重に出迎えてくれ、1時間にわたって、銀行口座の持ち方、投資の仕方、正しい生命保険・傷害保険の選び方などについて説明してくれた中で、真っ先に話題に上ったのが「プライベート医療保険」でした。
彼の言い分はこうでした。「イギリスにはNHSという無料の医療サービスが存在していますが、すべての人にとって平等なシステムですから、あなたのように医師という社会的地位を持った人でも特別扱いはされません。外来診察や検査、手術を受けるのに、いちいち数カ月から1年も待てますか? しかし、ご安心ください。このプライベート医療保険に加入すれば、専用のプライベート病院で、NHSと変わらない一流の医療が、待ち時間ほぼなしで受けられるのです」
「なるほど、そういう素晴らしいシステムがあるのなら、ぜひ加入しておきたい」と思わざるを得ませんでした。プライベート医療保険で有名なのは、例えばBUPA(イギリス最大手)が運営する保険です。税金で運営されているNHSと異なり、任意加入するもので、毎月一定額の保険料を支払う必要があります。
毎月の保険料は、加入者の年齢や病歴、自己負担額の設定、選択するオプションなどによって大きく異なります。緊急疾患の診療のみなどカバー範囲が限定的なものだと50ポンド(現在のレートで約6200円)以下と比較的安価ですが、すべての疾患の診断・治療をフルカバーにすると150ポンド(あるいはそれ以上)と高額になってしまいます。
例えば、BUPAには「診断のみカバー」「治療のみカバー」「診断・治療フルカバー」の3種類の保険があります。「診断のみカバー」の場合、開業医からの紹介状があれば、待ち時間ほぼなしで診察・検査を受けることができます。NHSにおける「ルーチン検査は3カ月待ち」という状況を回避するにはもってこいのオプションです。「治療のみカバー」の場合、既にNHS病院で診断は付いているものの、緊急性を要さない治療のためNHSだと手術が数カ月待ちなどという状況を回避するのに適したオプションです。「フルカバー」の場合、診断から治療まですべてをプライベート病院で迅速に行え、治療費制限なしのオプションを選べばどんなに高額な治療であっても受けることができます。しかし、このオプションはかなり高額になるので、よほど懐に余裕のある人でないと加入することはないでしょう。