
ロンドンの中心部、4月にロイヤルウェディングが執り行われたウエストミンスター寺院の近くに位置する聖トーマス病院。筆者はここで医学生時代の臨床実習を行いました。「無料」の医療が、年中無休24時間、提供されています。青地に白文字の「NHS」ロゴは全国共通のものです。
今回は、この連載のタイトルの一部にもした「誰もが無料で受けられる」というイギリスの医療制度について、私の医学生・研修医時代の経験を踏まえて紹介したいと思います。
「えっ、日本では病院で会計するの?」―日英の医療制度の違い
イギリスの医療制度が日本のそれと似ている点は、「国民皆保険」を前提としているところです。定職を得て給与をもらっている人については、そこから「保険料」に相当する税金が天引きされる仕組みになっています。これはnational insurance contributions(筆者訳:国民健康保険負担金)と呼ばれています。日本の場合、国民健康保険組合以外にも様々な保険者が存在しますが、イギリスでは基本的にはナショナル・ヘルス・サービス(national health service;NHS)一種のみです。
子どもや学生、無職の人、定年後の高齢者などは、national insurance contributions、および所得税を納める必要はありません。それは外国人であっても同じことです。私も医学生時代は税金を払っていなかったわけですが、医学校を卒業して研修医になり、給料をもらい始めてからは、税金を納めるようになりました。「この税金は、自分自身の医療をカバーするだけでなく、税金を納めない、または納められない人たちの医療をもカバーしているのだ」と思うと、イギリス社会の一員としての責任を感じたものでした。私が初期研修医だったときは、給与から約9%がnational insurance contributionsとして、約15%が所得税(income tax)として天引きされていましたが、税率は年齢や収入によって異なります。
さて、日本とイギリスの医療制度の大きな違いの一つは、医療行為を受ける時点において、イギリスでは患者負担額がゼロである点です。これを英語では“free at the point of healthcare delivery”と言います。日本では患者に応じて自己負担の割合が決まっているし、アメリカで医療行為を受けるときにも10~20ドル程度の“co-payment”(加入している保険の契約内容によって異なる)を患者が支払います。
例えば、イギリスで近所の開業医(general practitioner;GP)にかかったとします。診察を受けて、薬の処方箋をもらい、クリニックの受付に戻ると、そこに「会計」というものは存在しません。必要があれば次回の診察の予約を取りますが、そうでなければ後はもう帰るだけです。薬代はかかりますが、それはGPに支払うのではなく、薬局で薬を購入するときに薬局に支払います。この仕組みは大きな大学病院であっても同じです。
ですから、私が研修医としてキングス・カレッジ・ロンドン附属病院で勤務していた頃は、「会計伝票」というものを見たことがなく、考えたこともありませんでした。患者が病院でお金を支払う必要はないのですから、医師が現場で行う医療行為に会計伝票が逐一ついて回ることはないというのが当たり前だったのです。実際には、患者ごとにかかった医療費は計算されていますが、病院の事務スタッフがすべて処理するもので、医師や患者の目に直接触れることはありませんでした。研修中、ホームレスや不法移民の患者を数多く担当しましたが、そうした患者たちの医療費を心配する必要が全くなく、医療行為に集中することができました。
イギリスでの卒後研修を経た私が日本に来てまず驚かされたのは、患者が外来を受診した後、または退院時に「会計」を済ませなければならない点でした。東京で研修を始めて間もない頃は、イギリスにいたときの癖が抜けず、「患者がお金を支払う必要がある」という考え方になじめませんでした。