日経メディカルのロゴ画像

フェラーリをあきらめて博士課程へ…

2014/01/15
川口敦

 2013年の夏から、私は疫学分野の大学院生となりました。

 このKUROFUNetの執筆者の中にも、日本国外の大学や大学院を舞台に学んだり研究したりという方がいますが、国内であれ海外であれ、学生となるためにはまず学費の確保が大きな問題になります。日本であれば学生は学業の合間を縫ってアルバイトに励むのでしょうが、海外ではどうでしょうか?

カナダの学費は相対的に割安とはいうものの…
 北米のレジデンシーあるいはフェローシップの一部には、修士号博士号臨床研修修了時にセットで取得できるようプログラムされたものもあるようです。そうでない場合は、学生生活にプラスアルファで臨床業務をこなし、学費を稼がなければなりません。とはいえ、外国医学部の卒業生が学生として北米に渡っても、すぐに臨床の仕事が確保できるわけではありません。

 そのため、日本に一時帰国して稼ぐ、蓄えを取り崩す、主任研究者(principal investigator;PI)としてのグラント奨学金でなんとかする、あるいは時間はかかるものの現地で臨床研修を修了し、有給ポジションを得て稼げるように計画するしかありません。家族がいれば、資金面でのハードルはさらに高くなるでしょう。

 国や州、そして学部やプログラムのレベル(博士、修士、学士など)によってかなりばらつきがありますが、大雑把に言って学費の面ではアメリカが抜きん出て高く、イギリスがそれに続き、カナダやオーストラリアはこれらの国に比べてかなり割安になっているようです。

 平均して、カナダの医系大学院生の年間学費は7000~8000ドルほど(日本円で70~80万円程度)になります[1]。当然、このほかに教科書代などもかかりますので、学費の総額としては少なく見積もって年に1万ドル程度は見ておかなければなりません。

 博士課程の医師学生の多くにとって、それまで築いてきた地位や役職を捨てて学生へ転じると、収入も大幅に減ることになるので、相対的に年間5万ドル余りの「損」をするなどという数字も出てくるわけです[2]。無事に4年間で卒業できたとしても約20万ドルの「損」になり、その分でフェラーリも買えてしまう計算になります。また、少なくとも社会医学系の博士課程を修了したとしても、その後に就職または起業して大きな金銭的見返りを期待することは現実的ではないので、やはり「買い損ねた」フェラーリを手にすることは難しいのです。

 博士課程に進学して周りを見ると、多くの学生は奨学金を申請するか、既に受給が決まっています。あるいはPIのグラントから研究補助者として給料をもらいながら()学生生活を送っています。当然、ティーチングアシスタントやアルバイトをしながら、という学生もいます。私のように非常勤で臨床業務をしている学生もいますが、私の専門である疫学分野に至っては、医師をバックグラウンドに持つ学生は本当に限られています。

「ドクターがどうしてドクターになろうとするの?」
 プログラムの長さですが、修士課程(Master of Public Healthなど)については、多くのアメリカのプログラムが1年~1年半ほどで修了できるのに対して、カナダではほとんどのプログラムが1年半~2年を最短としています。博士課程については、いずれも4年を最短とするプログラムが多いようです。ですので、多少の費用はかさむものの、時間の節約を考えてカナダ人医師の中にも研修期間を終えた後などに1年間臨床から離れ、アメリカへ修士留学する人もいると聞きます。

 最近では、歴史のある有名プログラムでも遠隔コースなどを設けているところが出てきているので、レジデントをしながら「ちゃちゃっと」修士号を取得してしまう要領の良い人もいます。ただ、遠隔コースでは最低条件としてスクーリングに参加できるだけの時間が確保できる、融通の利く職場環境(レジデンシー/フェローシップ)にいなければなりません。そのため、日本で仕事をしている場合は容易なことではないかもしれません。


著者プロフィール

川口 敦

アルバータ大学(Stollery Children's Hospital)小児集中治療クリニカルアシスタント 同大学公衆衛生大学院博士課程疫学専攻

大阪生まれの奈良育ち。2003年大阪大学医学部卒業。神戸市立中央市民病院(現・神戸市立医療センター中央市民病院)にて小児科、ER、麻酔などの初期研修、倉敷中央病院にて小児科専門後期研修。2007年から静岡県立こども病院に勤務し、小児集中治療科(PICU)の立ち上げメンバーの1人となった。2011年春より現職。PICUにおけるQuality Improvement、特に人工心肺、終末期/移植医療に関心がある。趣味はウインタースポーツと旅行。学生時代は「医学生というより、スキー好きのバックパッカーでした」。

この記事を読んでいる人におすすめ