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「痰壺条例」があった明治から平成の結核予防

2019/08/02
倉原優(近畿中央呼吸器センター)

 皆さんは「痰壺条例」というものをご存知でしょうか。

 結核は、現在10万人当たり13.3人という罹患率ですが、まだ有効な治療法がなかったころ、その罹患率は今の約100倍で、10万人当たり1000人を超えていたとされています。第2次世界大戦の頃にストレプトマイシンイソニアジドパラアミノサリチル酸が使用されるようになってから急激に罹患率と死亡率が減少しましたが、20世紀初頭は満足な治療法がなかったため、結核患者さんはサナトリウムなどに収容され、大気解放・安静療法が行われていました。

※きれいな空気のある場所で、安静にするだけの治療法。また日光を浴びることで結核菌が死滅すると信じられていました。サナトリウムにおいて、毛布にくるまった結核患者さんたちが寒空の下、療養している姿が映画『風立ちぬ』でも描かれました。

 日本最古の結核予防対策は、1904年(明治37年)の内務省令「肺結核予防ニ関スル件」とされています。ここには、学校や病院など、人がたくさん集まる場所に「痰壺」を置き、そこに痰を吐くよう指示した条文があります(条文では唾壺[ダコ]と表記)。

著者プロフィール

倉原優(国立病院機構近畿中央呼吸器センター呼吸器内科)●くらはら ゆう氏。2006年滋賀医大卒。洛和会音羽病院を経て08年から現職。08年から始めた自身のブログ「呼吸器内科医」をベースにした書籍『「寄り道」呼吸器診療-呼吸器科医が悩む疑問とエビデンス-』を、2013年に刊行した。

連載の紹介

倉原優の「こちら呼吸器病棟」
倉原氏は、呼吸器病棟で活躍する若手医師。日々の診療や、患者さん・他の医療スタッフとのやりとりを通して倉原氏が感じたことを、呼吸器領域ならではのtipsを交えて語ります。呼吸器診療の息遣いが垣間見えるブログです。

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