日経メディカルのロゴ画像

医学生時代の旅で見た「複雑な」ウクライナ

2022/03/31

 もう38年も前のことになる。ウクライナで原発事故が発生する2年前、医学部学生だった私は、春休みを利用し新潟から旧ソビエト連邦(ロシア)のハバロフスクに渡った。

 厳冬のシベリア鉄道で1週間、寝台特急はヴォルガ川を渡ってモスクワに到着。車内で、浴衣に下駄で過ごしていたところ、「カラテ」「カラテ」と大いにモテた。モスクワで列車を乗り換え、南へ、温暖な海「黒海」に向かって真っすぐ下った。

 その3年前に生まれて初めて行った外国もロシアで、レニングラード(サンクトペテルブルグ)から列車でフィンランド国境を抜け、欧州へ。欧州側からロシアを眺め、両者の「違い」を自分なりに悟った。

 2度目の渡航ではモスクワから南下し、ウクライナ東部を経由、コーカサス地方に入ってグルジア(ジョージア)、そしてカスピ海を東に渡ってフェルガナ盆地の風土に触れたいものだと考えた。

 なぜ、そんな旅をしたのかと問われると、放浪癖が抜けなかったからだとしか言いようがない。ロシア語の初歩を教えてくれた故・森安達也東京大学教授(主著『東方キリスト教の世界』山川出版社)の影響もあろうか。文学や歴史に関心があり、そちらを専攻したいほどだったが、手に職つけるため医学部に入っていた。

 モスクワを発った列車は、広大な大地を南へ下った。しばらくは中央ロシアの標高100~200m程度の丘陵が車窓に見えていたが、ウクライナ第2の都市、ハリコフを過ぎると見渡す限りの大平原。真っ平な土地が、赤い夕日の地平線の彼方まで続く。阿蘇の草千里なんてものではない。どこまでも、どこまでも平らな大地が広がるのだ。人類史上、ウマを最初に家畜化したとされる、遊牧民の聖地「ポントス・カスピ海草原」である。

 座席にはカザフのおばあさん、モンゴルの血を引くブリヤート(バイカル湖周辺の地域)の幼子が、大柄なロシア人やウクライナ人、アルメニア人たちに混じって座っている。おじさんの1人はドイツ語が上手で「あっち(西)に真っすぐいけば、ベルリンだよ」と。多民族国家ならではの車内風景だった。ハリコフから南へ、列車がドンバスに着くと、炭鉱のせいか街全体がややくすんだように見えた。

 その昔、東方のモンゴル騎馬集団が平原を一気に駆け抜けロシア、ウクライナ、ポーランドまで版図を広げ、西欧の人々を震えあがらせたのもわかるような気がした。地続きで、山が全くないのだから、ウマで行くところまで行けたはずだ。

著者プロフィール

色平哲郎(JA長野厚生連・佐久総合病院 地域医療部 地域ケア科医長)●いろひら てつろう氏。東大理科1類を中退し世界を放浪後、京大医学部入学。1998年から2008年まで南相木村国保直営診療所長。08年から現職。

連載の紹介

色平哲郎の「医のふるさと」
今の医療はどこかおかしい。そもそも医療とは何か? 医者とは何? 世界を放浪後、故若月俊一氏に憧れ佐久総合病院の門を叩き、地域医療を実践する異色の医者が、信州の奥山から「医の原点」を問いかけます。

この記事を読んでいる人におすすめ