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「最も謙虚で、最も果敢な」若井晋先生の在りし日の姿

2022/01/31

 最近、出版されたばかりの『東大教授、若年性アルツハイマーになる』(講談社、2022)を手にして、脳外科医で、東京大学の国際地域保健学の教授を務められた故・若井晋先生(2021年逝去)の在りし日の姿を思い出した。

 この本は、若井先生の奥様の若井克子さんが、50歳代半ばで若年性アルツハイマーを発症された先生との「人生という『旅』」を丁寧に記録したものだ。

 「認知症に直面し悩み続けた私たちが、何をきっかけにどう変わり、病と付き合えるようになったのか、ありのままを記しました。老いや死を避けることはできません。でも、人は変わることができるし、新たな望みを見つけて旅を続けることができる──私はそう思います。わずか一事例にすぎませんが、いままさに私たちと同じ立場で苦しんでいる方が、ここから少しでも希望をくみ取ってくださることを願いつつ……」とプロローグに記してある。

 発症後の新天地、沖縄での生活や、アルツハイマー病の公表、夫妻でのご講演などの際の、当事者でなければ分からない思いが随所につづられている。ああ、そうだったのか、と様々なことに気づくとともに、若井先生がお元気だったころに交わした会話がよみがえった。キリスト者として生きた若井先生は、医療者としての秀逸さもさることながら、ひと言でいえば、「最も謙虚で、最も果敢な人」だったと思う。その歩みをたどっておこう。

 日本国際保健医療学会の神馬征峰理事長の「若井晋:次世代へのメッセージ」(Journal of International Health 2021;Vol.36 No.2:25-34. 外部リンク)によれば、若井先生は、東大医学部を卒業し、内科医となって1年後、ボランティアとして川崎の在日韓国人協会の「園医」を引き受け、李仁夏牧師との出会いによって「いかに戦争責任と向かい合うべきかを現場で学んだ」。

 その後、東大に戻って脳神経外科に専門を替え、東京都立府中病院(現・都立多摩総合医療センター)に赴任。医師3人で年間300~400件の手術という激務をこなす。1981年には日本キリスト教海外医療協力会(JOCS)ワーカーとしてご家族を連れて台湾に渡り、彰化基督教病院の脳神経外科医長を務めた。日本の植民地政策で日本語を強制された台湾の人たちの苦悩を直接、受け止めている。帰国後は獨協医科大学で診療に当たり、「私はキリスト者ですから、違う人生があります」と、いわゆる出世には見向きもせず、恬淡(てんたん)として、患者さんの生命を救おうとメスをふるった。

著者プロフィール

色平哲郎(JA長野厚生連・佐久総合病院 地域医療部 地域ケア科医長)●いろひら てつろう氏。東大理科1類を中退し世界を放浪後、京大医学部入学。1998年から2008年まで南相木村国保直営診療所長。08年から現職。

連載の紹介

色平哲郎の「医のふるさと」
今の医療はどこかおかしい。そもそも医療とは何か? 医者とは何? 世界を放浪後、故若月俊一氏に憧れ佐久総合病院の門を叩き、地域医療を実践する異色の医者が、信州の奥山から「医の原点」を問いかけます。

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