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中村哲先生が「若月賞」受賞講演で語ったこと

2019/12/27

中村先生の若月賞受賞と、記念講演の内容を伝える佐久総合病院の広報誌(2002年)

 アフガニスタンで長年、医療や水源確保の事業を展開してこられた中村哲先生の死は、国際保健医療支援に携わる人びとに大きな衝撃と悲しみを与えている。

 中村先生に最初にお目にかかったのは、2000年だった。当時、私はプライマリー・ヘルスケアの手引書『Where There Is No Doctor』(デビッド・ワーナー著、1968年)の翻訳に取り組んでいた(邦題: 『医者のいないところで』 国際保健協力市民の会)。世界を見渡せば、医療資源の乏しい地域で、多くの子どもや母親たちがマラリアや下痢、栄養失調、妊娠・出産の合併症やエイズなど、予防可能な病気のために生命を落としていた。

 『Where There Is No Doctor』には、そのような医者のいない地域でも可能な限り予防し、治すための方法が記述されている。すでに世界80カ国以上の言語に訳され、何百万人という途上国で働く保健ボランティアや看護師、助産師、住民自身から圧倒的な支持を集めていた。何とか日本語訳もと思い、どこへ行くにも、この本を持ち歩いていた。

 初対面の中村先生にも、本を見せて、アフガニスタンでの適用についてご意見をうかがった。中村先生は、さーっと目を通して、こうおっしゃった。「イラストが多いのはいいですね。ただ、このままでは難しいな。イスラーム圏で翻訳する際には工夫が必要ですね」。本には女性器などもしっかりイラストで描かれている。その表現の工夫に言及された。実際にアフガニスタンの人びとに溶けこんでいる中村先生らしい反応だった。

 次にお会いしたのは2002年、ペシャワール会現地代表だった中村先生が「若月賞」を受賞して、信州に来られたときだった。若月賞は、佐久総合病院の名誉院長・若月俊一先生の業績を記念して保健医療分野の「草の根」的な活動を顕彰する制度だ。

 中村先生は、勤務医の職をなげうって1984年にパキスタン北西辺境州ペシャワールに赴任。ハンセン病のコントロールを手始めに、無医地区山岳部での診療所や基地病院の建設に邁進された。その功績が認められ、受賞に至ったのだ。

著者プロフィール

色平哲郎(JA長野厚生連・佐久総合病院 地域医療部 地域ケア科医長)●いろひら てつろう氏。東大理科1類を中退し世界を放浪後、京大医学部入学。1998年から2008年まで南相木村国保直営診療所長。08年から現職。

連載の紹介

色平哲郎の「医のふるさと」
今の医療はどこかおかしい。そもそも医療とは何か? 医者とは何? 世界を放浪後、故若月俊一氏に憧れ佐久総合病院の門を叩き、地域医療を実践する異色の医者が、信州の奥山から「医の原点」を問いかけます。

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