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友の旅立ちと副総理来訪―佐久総合病院の近況報告

2012/02/29

 春は、旅立ちと訪れの季節だ。「変化」を最も体感できる時期でもある。

 長年、「地域密着医療」と「急性期医療」の
 二足のわらじを履いてきた佐久総合病院。
 今月、急性期医療部門を集める「佐久医療センター」の
 建設工事が始まった。
 本院から北へ7キロ離れた佐久平に2年かけて
 佐久医療センターはつくられる。
 広域的な医療ニーズを受けての分立だ。

 「二足のわらじは、少々離れても履き続ける」
 伊澤敏病院長はじめ職員は、気持ちを新たにしている。
 今後は、地域密着医療の比重もますます高くなる
 (関連記事:2012.1.4「「医(いや)す者として」…大震災翌年の年初に」)。

 そんな矢先、十数年間にわたって山間地域の医療を支えてきた同僚の
 長(ちょう)純一医師(45)が佐久病院を退職し、宮城県石巻市の
 約1900戸の仮設住宅が集中する「開成地区」へ赴くことになった。
 東北最大規模の仮設住宅地域に設立される
 石巻市立病院の仮診療所長として、移り住むというのである。
 佐久病院の仲間としては、痛い! じつに痛い!
 佐久はこの重大時期に、この大きな人材を、一定期間欠くことになるのだ。

 長(と、いつものように敬称抜きにさせてもらう)との思い出は尽きない。
 JR小海線の駅舎にある小海診療所を拠点に在宅医療を展開してきた
 長のねばり強い活動には、敬服するばかりだった。
 365日、24時間、訪問診療を行っていた。
 訪問診療が途絶すれば、即入院という患者さんが常時10人はいる。
 その穴を埋めるのは大変だろう。

 しかし長は、東北の被災地を訪れ、「このまま何もしなければ、
 お年寄りは劣悪な環境に置かれる」と実感し、
 そこに膨大な医療ニーズがあることを知って決断した。

 佐久病院を育てた故若月俊一先生は、こう語っている。
 「弱い者を支えるのが人間の義務であり、民主主義の精神であり、
 また協同の精神でもある」。
 若月先生の最後の弟子世代の長は、この語録そのものの行動を選択した。

 佐久病院の職員一同は、長の奮闘を期待し、温かく送り出そうと決めた。
 このあたりが、浪花節が今も通用する佐久病院らしいところだ。
 生き馬の目を抜くような医師のヘッドハンティングとか、
 引き抜きといった類の話とは、全然違うのである。

 去る者がいれば、逆に政府の要職に就く方にお越しいただき、
 驚いたこともあった。

 2月18日、岡田克也副総理が、佐久病院を訪問され、
 在宅医療を担当する地域ケア科、ドクターヘリを運用する
 救命救急センターなどを視察した。
 熱心にヒアリングされた岡田副総理は、自身のブログにこう書いておられる。

著者プロフィール

色平哲郎(JA長野厚生連・佐久総合病院 地域医療部 地域ケア科医長)●いろひら てつろう氏。東大理科1類を中退し世界を放浪後、京大医学部入学。1998年から2008年まで南相木村国保直営診療所長。08年から現職。

連載の紹介

色平哲郎の「医のふるさと」
今の医療はどこかおかしい。そもそも医療とは何か? 医者とは何? 世界を放浪後、故若月俊一氏に憧れ佐久総合病院の門を叩き、地域医療を実践する異色の医者が、信州の奥山から「医の原点」を問いかけます。

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