最近、医療・福祉を核とした地域づくりの声が、徐々に高まっている。
先日も、癌治療で知られる順天堂大学医学部教授の樋野興夫氏が、
「医師の目-日本にメディカルタウンを」と題した文章を書いていた
(3月22日付日本経済新聞)。
樋野教授らは、順天堂大学をはじめとした多くの医療機関が集積する街区
「お茶の水」を、開放型の病院を中心にした街にしよう、と提唱している。
「体にハンディを持つ人でも安心して歩けるよう駅や道路に配慮が施された街。
患者の視点に立った設備を備えたホテルや健康食を出すレストラン、
様々な病気の本が手に入る書店がある街――。そんなイメージである」という。
既に「お茶の水メディカルタウン研究会」が動き始めているそうだ。
実は、佐久総合病院は、病院を核とした街づくりに20年越しで取り組んできた。
しかし、その実現は口で言うほどたやすいことではなく、
佐久総合病院もいまだその途上にある。
佐久病院前院長である清水茂文医師が2002年に記した
「ともに造ろう、いのちと暮らし―佐久総合病院再構築計画(素案)」を
参考に、佐久病院の取り組みの歴史をご紹介したい。
「病院を核とした街づくり」は、1988年に医師で医学史研究者・医事評論家の
川上武先生が提唱された「メディコ・ポリス構想」が、その起点である。
この構想は農村の過疎高齢化を逆手に取った地域再生策であり、
医療・福祉を新しい地域産業論の視点から展開したものだった。
「メディコ・ポリス構想」は、
(1)医療・福祉施設の完備
(2)教育施設の充実
(3)生計を確保するための地域産業の振興
という3つのテーマで構成されている。
(1)はともかく、(2)、(3)については周囲の理解が得られにくかった。
一般に、医療や福祉、教育を「非生産的」と考え、他産業とのつながりを含めて
「社会的基盤」として整備する認識が欠けていたからのようだ。
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著者プロフィール
色平哲郎(JA長野厚生連・佐久総合病院 地域医療部 地域ケア科医長)●いろひら てつろう氏。東大理科1類を中退し世界を放浪後、京大医学部入学。1998年から2008年まで南相木村国保直営診療所長。08年から現職。

連載の紹介
色平哲郎の「医のふるさと」
今の医療はどこかおかしい。そもそも医療とは何か? 医者とは何? 世界を放浪後、故若月俊一氏に憧れ佐久総合病院の門を叩き、地域医療を実践する異色の医者が、信州の奥山から「医の原点」を問いかけます。
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