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超重症児における安楽死 

2008/09/17

 今回は「超重症児における安楽死」についての僕自身の論考を端的に述べます。

 安楽死の定義について様々な論がありますが、一般には「回復の見込みのない病による耐えがたい苦痛に悩まされている患者に対し、生命を絶つことでその苦痛を取り除く行為」を意味します。

 現在、世界では1942年にスイスで是認されて以降、1994年にアメリカ(オレゴン州)で尊厳死法が成立し、2001年オランダ、2002年にベルギー、2005年にフランスで安楽死が認められています。

 周知の通り、日本では法的に安楽死は認められず、刑法上は殺人罪になります。

 しかし日本における安楽死に類似した概念は古く、「切腹」の際、死にきれない者の急所を別の者が刺したとの記載が残されています。これは病が原因ではありませんが、回復の見込みのない者から苦痛を除き、積極的に死に至らしめる安楽死にも準じた一つの行為といえます。

 きっとその死は尊厳に満ちた死であったことでしょう。

 近代では1916年に森鴎外が「高瀬舟」で安楽死の是非を世に投げかけました。

 その後、1991年の東海大学や1995年の国保・京北病院の例を経て、今日、国会でも安楽死の議論は交わされています。

 現在、長寿国家である日本では、現代医学で回復する見込みのない死期において、事前の文章による自身の終末期医療を「アドバンス・ディレクティブ・リビング・ウィル」により「人工呼吸器や注入栄養に代表される積極的な延命治療を希望しない」、という意思表示を示す高齢者が増えています。

 安楽死を考えるには、この生前からの「リビング・ウィルによる本人の終末期医療についての意思表示」が前提となります。

 しかしながら意思表示の不可能な「超重症児」にはリビング・ウィルの術がないため、「超重症児における安楽死」の位置づけは、これまで議論の対象にはなりませんでした。

 超重症児の安楽死を考える場合、超重症児の基本的日常生活が人工呼吸管理や注入栄養による医療を伴った生活をあらかじめ営んでいることが前提となるため、これらの医療行為は延命治療には値しないことが特記されます。

 それでは何らかの原因で超重症児に死期が迫り、明確な意思表示はなくとも肉体的苦痛が存在するとしたときに、児から苦痛を除去し緩和する方法を現実的に考えてみます。

 現実的には、超重症児の終末期医療の治療方針の決定は、主治医とご両親の意見交換に委ねられることがほとんどです。

 超重症児の安楽死を、ご両親の自発的な意思表示を前提とする「積極的安楽死」と、必要以上の延命治療を控えて自然に死を迎える「消極的安楽死」、いわゆるナチュラルコースの2つに大別します。

 前者でいう積極的なものとしては、慢性呼吸不全に対する人工呼吸器を、両親の明確な意思表示のもとに外すことで、より早期に苦痛を緩和する処置が考えられます。

 この行為は結果的に死期を早めるものであるため、「両親の意思表示に伴う積極的安楽死」に相当するといえます。

 また消極的には、意識レベルを下げて苦痛を感じなくさせるセデーションによる鎮静処置がとられます。

著者プロフィール

今高城治(獨協医科大学小児科講師)●いまたか じょうじ氏。獨協医科大学医学部卒、慶應義塾大学文学部(哲学)卒、医学博士。小児神経学会評議員。現在、慶應義塾大学法学部(通信教育課程)に在籍し政治学を専攻中。

連載の紹介

今高城治の「医療と生命倫理のパンセ」
文明と医学の進歩は人類に本当の幸せをもたらすのか?超重症児医療に従事しながら、哲学・倫理学・法学を修める今高氏が、独自の世界観を背景に現代の倫理、哲学、思想、サイエンスに対する諸問題を論考していきます。

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