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生体移植における幼児期ドナーの自己決定権  

2008/09/08
今高城治

 もしもあなたの大切な家族が不治の病に倒れたとき、心から愛する恋人に命にかかわる病が訪れたとき、あなたは独り、何を思うでしょうか?

 きっと、もがき苦しんだ末に、「私の命を捧げてもかまわないから…」とか、「その命の身代りになってあげることができるのなら…」と、自分の命を犠牲にすることも厭わないという気持ちになるのではないでしょうか。

 僕はそんなことを考える時、ピーター・パンがフック船長の罠によって毒を飲まされそうになった際に、ティンカーベルがピーター・パンを助けるために自らが身代わりとなり、その毒を飲み干したシーンを回想します。

 その気持ちの根源とは、まさしく「人間愛」と称すべきものかもしれません。

 ただし医学がどれだけ進歩しても、自分の命や運命をほかの人にあげることは不可能でしょう。

 しかし、今日われわれは命を身代わりにすることなく、生きながらにして自らの臓器の一部を他人に移植をする「生体移植」という術を身につけました。

 歴史上、最初に確立された生体移植技術は「輸血」です。

 輸血の始まりは1800年代前半にさかのぼります。当時の輸血では、ある患者は助かり、ある患者は死に至りました。そして血液を与えた人までも大きなリスクを負いました。
その理由は、まだ血液型不適合の概念が分からなかったからです。何しろそれは、1900年にラントシュタイナーにより血液型が発見されるよりもずっと前の時代のことでしたから。

 この時代の輸血とは、まさに命をかけた医療行為であったと思われます。

 きっとそこには、ティンカーベルのように「大切な人を救いたい」という尊大な「自発的な人間愛」が存在したのでしょう。

 その後100年の時を経て、今日、生体移植の医学は、輸血から骨髄移植、生体肝移植、生体腎移植、生体膵移植、生体肺移植にまで進歩を遂げました。

 しかし同時に、移植医学の現場では様々な倫理的問題点が浮上してきました。

 中でも特に僕が疑問視している倫理的問題は、「幼児同胞をドナーとする骨髄移植」です。

 例えば、自分の子供が「移植をしなければ命にかかわる病態」に陥り、HLAの一致するドナーが同胞に存在するとき、そして、それが4歳児の急性白血病に対して、2歳児がドナーとなる場合を考えてみてください。

 本来、生体臓器移植はドナー本人の自発的な臓器提供の意思を書面にて確認することが大原則です。

 しかしこの2歳児ドナーの例では、自発的な決定権を確認することはまず無理でしょう。

 御両親は骨髄バンクからの移植を考えるかもしれません。

 しかし兄弟姉妹にHLA一致のドナー候補がいる場合、医師は医学的によりリスクの低い兄弟姉妹間の移植を提案します。

著者プロフィール

今高城治(獨協医科大学小児科講師)●いまたか じょうじ氏。獨協医科大学医学部卒、慶應義塾大学文学部(哲学)卒、医学博士。小児神経学会評議員。現在、慶應義塾大学法学部(通信教育課程)に在籍し政治学を専攻中。

連載の紹介

今高城治の「医療と生命倫理のパンセ」
文明と医学の進歩は人類に本当の幸せをもたらすのか?超重症児医療に従事しながら、哲学・倫理学・法学を修める今高氏が、独自の世界観を背景に現代の倫理、哲学、思想、サイエンスに対する諸問題を論考していきます。

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