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かわいい子は谷に突き落とせ

2014/06/30
堀越裕歩(東京都立小児総合医療センター感染症科)

 日本人は英語が苦手。よく言われる通り、私もトロントに留学しているときはとても苦労した。院内では英語で普通に仕事をしていたが、それでも週一でマンツーマンの英会話レッスンに通った。

英語でのプレゼンテーションを見てもらったり、それなりに努力したと思うが、決してネイティブ並にはなれない。悔しいことに、これだけ苦労しても、現地の幼稚園や小学校に通っていた子供たちが数カ月で習得した発音のほうが、私よりはるかにネイティブだった。

海外学会での興奮を経験してほしい
 私が初めて海外の学会で発表したのは、医師5年目のとき。二分脊椎児の尿路感染症をまとめたのだが、たどたどしい英語で書いた最初の抄録は、ほぼ丸ごと違う文章になって返ってきた。当時指導していただいた先生には誠にお世話になったと今も思う。

 指導の先生のおかげで、演題は幸運にもアクセプト。初めて行ってみた米国小児科学会は大変に刺激的だった。発表のレベルが高くて、教育的なセッションも多い。臨床や研究の最先端にも触れることができ、研修医にとってもすごく勉強になるのは間違いない。東京都立小児総合医療センターに着任した際、この経験を研修医の先生たちにもしてもらおうと強く思っていた。

 着任当時、後期研修医が海外学会に挑戦するという雰囲気はあまりなかった。日本人医師にとって英語が大きな障壁になるのは当然のこと。でも前例さえ作ってしまえば、後に続く者が出てくると思った。しかし、最初の1年目から周りの研修医に「海外の学会に演題を出そうよ」と刺激し続けても、あまり反応はなかった。オープンしたばかりで病院自体が混乱の時期にあり、余裕がなかったという事情も大きかったと思う。

 2年目からは少し方針を変えて、一人の研修医(A子先生)に重点的に勧めるようにした。最初は「英語なんて無理です」と頑なに拒まれていたが、指導医の強権を発動。半ば強引に「とにかく抄録を書いてみろ」と迫ってみた。「大丈夫。英語なんてできなくても発表はできる。日本人なんて、有名な先生でも英語での発表はひどいものだ。だけど、国際的な評価は高い。問題は英語じゃなくて、発表の中身なんだ」という叱咤激励も忘れずにだ。

 最初はかなり嫌がっていたA子先生だったが、私の見込み通り(?)になかなか根性があり、ついには英語で抄録を書いてきた。正直とても読めたものでない英語を見て、自分が初めて書いた英語抄録が鮮やかに思い出された。

想定質問集まで作った初回の準備
 これまでの経験では、初めての海外学会の抄録をまともに書いてきた研修医に出会ったことはない(私も含めて)。まず間違いなく、ほぼ全文の書き直しに近いくらいの修正が必要となる。A子先生の抄録は何回も練り直して、やっとのことで登録。しかし、海外の多くの学会は抄録の査読があり、出して自動的に発表の権利が与えられるわけではない。

著者プロフィール

堀越裕歩氏(東京都立小児総合医療センター感染症科)●2001年昭和大卒。沖縄県立中部病院、昭和大学小児科、国立成育医療センター(当時)などを経て、08年7月カナダ・トロント小児病院にクリニカルフェローとして留学。10年8月から現職。

連載の紹介

堀越裕歩の「小児感染症科はじめて物語」
カナダでの2年の臨床留学から帰国し、小児専門病院で与えられたミッションは「小児の感染症科の立ち上げ」。手指衛生の徹底から始まり、時には抗菌薬処方をめぐって衝突…。国際標準の小児感染症診療を日本で実践する中での奮闘をご紹介します。

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