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人民無視の絶対主義的官僚制はこうして作られた

2009/06/29

 日本の官僚システムの問題点は、明治時代の渋沢栄一官尊民卑打破、道徳経済合一論)をはじめとして、近年では立花隆氏など、多くの識者が異口同音に訴えてきました。

 私はかねてから、医療崩壊の背景には、官僚や、利益ばかりを追い求める経済人が、個々の国民の幸福を重視してこなかった歴史があると考えてきましたが、その流れがいつどのように始まったのかについては、今一つ明確に知りませんでした。ところが先日、NHKの「歴史秘話ヒストリア」という番組で、「裁判はじめて物語~明治の人々はどうしたの?~」(2009年5月20日)という回が放送され、その疑問を解く鍵を私に与えてくれたのです。

 番組では、日本の司法制度の確立に大きな功績を残した江藤新平(1834年~1874年)が取り上げられていました。

 江藤新平は、明治4年に裁判所を作り、“お上が民を裁く”システムから“民の権利を守るための裁き”へと転換を図ろうとした人物です。さらに、明治5年には「司法省第46号」という通達を出して、民衆が役人を訴える道を開きます。その結果、東北の尾去沢銅山事件が明らかとなって大蔵省の実力者だった井上馨が窮地に追い込まれるわけですが、このことが仇となり、江藤は志半ばで政府を去ります。その後、佐賀の乱の責任を問われ、形ばかりの裁判にかけられ非業の死を遂げたのです。

著者プロフィール

本田宏(済生会栗橋病院院長補佐)●ほんだ ひろし氏。1979年弘前大卒後、同大学第1外科。東京女子医大腎臓病総合医療センター外科を経て、89年済生会栗橋病院(埼玉県)外科部長、01年同院副院長。11年7月より現職。

連載の紹介

本田宏の「勤務医よ、闘え!」
深刻化する医師不足、疲弊する勤務医、増大する医療ニーズ—。医療の現場をよく知らない人々が医療政策を決めていいのか?医療再建のため、最前線の勤務医自らが考え、声を上げていく上での情報共有の場を作ります。

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