
ルドベキアは夏から秋にかけて咲く花。北アメリカ原産で、色も形も大きさもいろいろである。日本名の「オオハンゴウソウ(大反魂草)」は、花びらがそり返りぎみに開き、中心が天に高く突き出す形に由来する。
少子高齢化が極端に進んでいることは、既に述べてきた。そして、昨年、戦後初めて日本人の総数が減少した。今後の労働人口の減少が及ぼす最大の影響は、国民総生産(GNP)の減少であり、これを日本国として受け入れるのか、受け入れずGNPを維持するのかによって、今後の政策方針は異なってくる。
GNPを維持しようとする場合、政府の選択肢は
1)日本国民増加政策
2)外国人労働者雇用政策
の二つダケである。国民を増やす政策として2005年10月31日に内閣府特命担当大臣(少子化・男女共同参画)猪口邦子氏が就任したが、少子化が解消したとしても、GNP改善のためには20余年の年月が必要である。それでもなりふり構わず、政府は国策として少子化に対応しようとしている。
かつて、日本国内の地域による年齢差は、今よりも均一で、複数世代が同居する生活を送っていた。もちろん、その当時にも地域間格差は存在し、村(むら)社会での生活よりも都市での生活に憧れを抱いていた。その後、日本は経済発展を続け、人口は都市部に集中し、都市周囲にベッドタウンが形成され、核家族化し、男女参画共同社会になった。その傍ら、専業主婦は減り続けている。
日本は天然資源の少ない国、知的水準が高い国である。そんな国の子供は、将来に対する選択肢が狭い。だから、今の子供は忙しい。学校・塾に通いつつ、スポーツクラブにも参加し、パソコンゲームもしなければ友だちとの会話ができなくなる。
「開発途上国の子供の目は輝いており、日本の子供の目は輝いていない」とよく言われるが、「輝いていない」のではなく、疲れているのである。日本の子供は幼いころから「自分のスケジュール管理」を余儀なくされ、親もそれに付き合わされ、親子共々疲れ果てている。
別の見方をすれば、都市部の厳しい競争社会を生き抜くためには高学歴が必要であり、親は子供に対して「教育」という最大の投資を行っているのである。快適で高価な生活の代償としての生活費、子供の教育費、将来への蓄えなどを考えると、父親だけの収入では不足するため、共稼ぎとなる。そうなると、持てる子供の数は減ってしまう。これが少子化の本当の姿であろう。もちろん高学歴ダケで競争社会を生き抜くことができるわけではないが。