
新緑に包まれた岡山城。外壁の下見板が黒いため「烏城」と呼ばれている。後楽園は、烏城の庭園という位置づけだ。
今回は、診療所の立場から見た、MRの仕事ぶりを取り上げてみる。日経メディカル オンラインは、製薬会社のMRの方も見ているとのことで、僭越ではあるが、ご容赦いただきたい。
その昔、MRは「プロパー」と呼ばれていた。プロパーには専門の資格はなく、男性社会である「お医者さん」の接待を主な仕事としていた。このためプロパーは男性の仕事であった。要求される能力は、ゴルフ・麻雀・囲碁・飲食接待などであり、学会用ブルースライド作り、学会の宿泊・交通の手配などもしていた。豪傑プロパーだと「年間1000万円の接待交際費を消化するノルマがあるので、大変だ」という話を聞いたこともある。数万錠の薬を買えば香港旅行が付いてくるという、今では考えられない時代であった。
もちろん、製薬会社も自分の儲けにならないことはしない。この時代、薬の値段の中身は「卸価格(30%)+流通マージン(30%)+薬価差益(40%)」だった。医療経営は薬価差益を当てにし、医療保険制度では医療技術に対する技術料は無視されていた。「大量の医薬品を投与することが医療レベルを上げること」と考えられていた時代であった。
1980年代前半に「大量の医薬品を投与する方向は間違っている」と、医薬品に対する見方が変わってきた。そして「薬価差益の圧縮」をスローガンに、薬価の切り下げが始まった。当初の「薬剤の流通マージンを含んだ卸価格(仕切り値:80%)+薬価差益(20%)」を皮切りに、改定のたびに薬価は切り下げられ、薬価差益は削られてきた。消費税も導入され、現在は薬価差益は-1%の時代を迎えている。
現場から言わせると、不良在庫も含めると+5%の差益がなければ、実質的には赤字になってしまう。薬価は半分に下がり、相対的に薬剤製造原価が上昇し、薬価差益が消滅したことで、医療費全体のバランスは合っていると聞かされるが、頭の悪い私には、薬価差益が無くなっただけで、製薬会社の利益はさして変わらないように思える。
そして、いつの間にか「仕切り値」というメーカーが指定した卸価格での薬剤の購入を強要されている。ところがこれは、独占禁止法には抵触しないそうである。やはり、私には、もう少し社会の仕組みや法律の運用というものを勉強する必要がありそうだ。