日経メディカルのロゴ画像

飛岡内科のネットワーク環境

2006/05/01

後楽園の中で風に泳ぐ鯉のぼり

 今回から2回にわたって、飛岡内科のネット環境構築についてお話しよう。

 飛岡内科では1998年に院内の全面改装を行い、ネットワークインフラを構築した。この時代はインターネット導入期であり、岡山県では「岡山県情報ハイウェー構想」が動き始めたところだった。将来のインターネットへの接続は、ラストワンマイルとして CATV、光ファイバーなどが考えられたが、当時、実際に導入できるのは ISDN 128K(B Flets)だけという状況であった。一方、「岡山県情報ハイウェー構想」の中では、医療がネットを使う最終目的は医療連携であり、遠隔地医療のためのテレビ電話が重要であると提言していた。

 医療現場で実際にネットが使われる時代になった時、医療画像システム、オーダリングシステム、電子認証システム、テレビ電話システム、アメニティーとしてのインターネットと複数のネットワーク構築が必要となり、どんなに太い回線を用意しても容量不足を起こすことは、当時既に予想された。

 回線の容量不足を巡る、倉敷芸術科学大学の小林和真先生に聞いたエピソードをご紹介する。同大は95年4月に新設大学として開校、当初から、科学系と芸術系をデジタル技術で融合しようという新しい試みに取り組んでいた。この目的で大学内に光ファイバーを張り巡らせて、ATM (非同期転送モード)を使ってメガ単位の通信インフラを用意し、「これで完成!」と思って芸術系の先生方にネットを開放した。ところが、数週間後にネットが動かなくなった。原因はトラフィックのパンクである。

 技術屋からみるとメガ単位の通信インフラは途方もなく太いように思える。しかし、芸術系から見ると通信インフラはコンテンツを送る道具に過ぎない。従って、芸術系の先生方は、 Photoshop 画像を圧縮せず、数十枚の生データ画像を一度に複数のパソコンへ送るという、大量のデータをパソコンからパソコンへ移す単純な操作をしていただけなのである。それでもパンクしたということは、どんなに高速な回線を用意しても、ピーク時にはオーバーフローすることを意味している。倉敷芸術科学大学では、その後、光ファイバーを複数本引き直し、需要に対応していた。

著者プロフィール

飛岡宏(飛岡内科医院副院長)●ひおか ひろし氏。1980年川崎医大卒後、岡山大第2内科入局。岡山労災病院、新居浜十全病院、岡山市立市民病院を経て、90年9月より飛岡内科を継承開業、副院長として現在に至る。

連載の紹介

飛岡宏の「開業医身辺雑記」
「コンピューターと医療の世界を結び付ける」ことをライフワークとする飛岡氏。日々の診療を通じて感じる開業医の喜びや悩み、実感する現代医療の問題点などを、肩の凝らないエッセイ風につづります。

この記事を読んでいる人におすすめ