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診療所ですがCRを導入しました

2006/04/05

右が5Mピクセルのモニター、左はサーバー用の普通のモニター。診察台の上にさりげなく並べているが、片方は300万円以上のモニターだ。

 第2回目の今日は、長めの自己紹介の後編として、大学卒業から継承開業までのことをさらっとお話ししたあと、最近導入したDICOM画像ファイリングシステムについて触れておこう。

 80年に川崎医科大学を卒業して、岡山大学医学部第2内科へ入局した。医学部を卒業する時、将来の進路を決めている者と、実際に医療現場を経験してから進路を決める者がいる。私の場合、将来は継承開業医になると決めており、「開業医になるためにはどうすれば良いのか?」を自分なりに考えての入局だった。2年後に岡山市立市民病院内科の勤務医になってから、将来の開業医を目指した自主トレーニングを開始した。この詳細は別の機会に譲ることにする。

 そして90年9月、飛岡内科医院(無床診療所)を継承開業した。継承開業は外から見ると楽にできそうだが、実際には多くの困難の後に継承できるものである。苦労の重ね方は新規開業と大きな差はない。隣の芝が青く見えるだけである。この辺りは異論も多いだろうが、開業医の実態を理解するヒントの一つになるだろう。

 さて、継承開業するときの最大の問題点は、誰が主導権を握るか、である。飛岡内科の場合、院長(父親)、事務長(母親)、継承者(私)、の3つの局があり、三者三様に自己主張を行うので、スタッフが混乱する。また、経営的には、院長の時代とパイの大きさは同じなので、食い扶持が増えるだけとなりかねない。実際、これも大きな障害になるケースが少なくない。主導権と経営問題に対する戦略を持たずして継承開業を試みると、ほぼ失敗すると私は考えている。そこで、私の場合には「在宅医療」を切り札にした。

著者プロフィール

飛岡宏(飛岡内科医院副院長)●ひおか ひろし氏。1980年川崎医大卒後、岡山大第2内科入局。岡山労災病院、新居浜十全病院、岡山市立市民病院を経て、90年9月より飛岡内科を継承開業、副院長として現在に至る。

連載の紹介

飛岡宏の「開業医身辺雑記」
「コンピューターと医療の世界を結び付ける」ことをライフワークとする飛岡氏。日々の診療を通じて感じる開業医の喜びや悩み、実感する現代医療の問題点などを、肩の凝らないエッセイ風につづります。

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