日経メディカルのロゴ画像

人生会議ポスター騒動に関する私のナラティヴ

2019/12/03
尾藤誠司(東京医療センター)

 厚生労働省が吉本興業に依頼して作成した「人生会議」のポスターについて、その内容が物議をかもし、即日厚生労働省がその配布を取りやめたことは、全国的なニュースにもなり皆さんも多く認識されていると思います。ごく簡単に解説すると、まずポスターで使用されている写真が吉本興業の有名な芸人さんが、まさに臨終の状況で「まてまて、こんなんアカンやろ!」というぎょっとした表情を浮かべ、それが全体的に青白い背景の絵になっていること、心電図モニタの波形がまさに平たんになっていく画像イメージ、また、その写真とともに表記されているテキストが、事前にこのような臨終の状況にどうしてほしいかということを話しておかなかったことに対する後悔について表現されている、という内容のものです。そして、そのポスターを見た多くの人が「不安をあおる」「ACP(アドバンス・ケア・プラニングの略。厚生労働省はACPを「人生会議」という愛称で普及啓発しようとしている)啓発の内容として不適切だ」などの意見が続出し、それら意見を受けて急遽厚生労働省はポスターの発出を取りやめた、というのが今回の経緯です。

 私のFacebook上のスレッドにも、これらに対するいろいろな意見が様々な立場の医療者の方から出されていました。多くは、このポスターそのものや、このポスターを出した厚生労働省に対するややネガティヴな意見でした。そして、それらの意見はおおむね共感できるものでした。ただ、それらのたくさんの意見は、このポスターの初めて見たときの私の感情とはちょっと異なっていました。簡単に言うと、私の感情は当該ポスターの内容や、ポスターを用いて啓発活動をしようとする厚生労働省に対する是々非々に関する意見というよりは、もっと主観的な感情だったのです。そして、私がそのような感情を持った理由は、きっと私がエンド・オブ・ライフの意思決定に対してかなり長い間かかわってきた自分の医師人生と深くかかわっているのだろうと思いました。なので、ここからの文章はかなり個人的な独白になります。ご容赦ください。

 今でこそ私はエンド・オブ・ライフというよりは、臨床における意思決定そのものに興味が変わってきていて、今は特に人工知能が本格的に臨床現場にビルトインされた状況において、今まで医師が得意としていた「知識の泉と推論と分析」の役割のほとんどを人工知能が肩代わりするようになってきたとき、臨床における意思決定の形はどのようになっていくのだろうということについて研究活動を行っています。しかしながら、私が臨床における意思決定に対して強くコミットし始めた「お里」はまさにエンド・オブ・ライフにおける意思決定のあり方だったのです。

 高齢者医療に携わりながら、当時の延命救命至上主義の医療のスタイルにもやもやし続け、1995年にカリフォルニアに2年間勉強に行きました。そこで「SUPPORT研究」1) にかかわることができ、「そうか!臨床研究というのは自分のもやもやをはらすことと大きくつながっているのだ!」と気づきました。その後、10年以上にわたって私はエンド・オブ・ライフにおける臨床意思決定の姿を追い求め続け、論文作成などもしてきました2、3)。その経緯から、厚生労働省が2007年に発出し、鳴かず飛ばずの時期を経て改編し、2014年から再度重い腰を上げて普及を目指した「人生の最終段階における医療・ケアの決定プロセスに関するガイドライン」(以下、プロセスガイドライン)の実践を目的とした医療者向けの研修会である「E-FIELD」4)の教材作成チームに加わり、国立長寿医療センターや神戸大学の皆さんとともに、プロセスガイドラインが現場で普通に使われる日が来るといいなあ、と願いながら教材を作った思い出があります。この研修会では、一部ですがACPの進め方に関する研修もコンテンツに入っています。エンド・オブ・ライフにおける意思決定プロセスとACPは地続きで存在しているというのが私たちの理解です。

おかげさまでE-FIELD研修会事業は順調に進んでおり、毎年全国で100施設以上(一施設あたり3~4名の多職種の医療職が参加します)の施設の方々にご参加いただいております。現在は神戸大学が主催する厚生労働省の委託事業として、私たちも霞が関の人たちとミッションを共有しながら、過剰啓発になり過ぎないように注意しつつ今年度も研修事業を続けています。

 私の人生の中にはそのようなストーリーがありました。その中で突然知ったのが今回の「人生会議ポスター」でした。そして、私があのポスターを見て最初に湧き上がった感情は、怒りとか悲しみとか喜びとかではなく、「このポスター、E-FIELD研修会の時にカベに貼れとか言われたらいやだ」という感情でした。もう一つは「2008年のあの忌まわしき“後期高齢者終末期相談支援料”のトラウマ、厚労省忘れたのかいな??」という感覚でした。

 当時厚生労働省から突然発出された“後期高齢者終末期相談支援料”は、当時の文書を抜粋すると「患者及びその家族等と終末期の診療方針等について十分に話合いを 行った上、話合いの内容を取りまとめた文書等の提供を行った後、当該患者の退院時又は死亡 時に算定される」支払いのしくみでした。当時の通知はこちらで読むことができます。

 これはまあ、私から見ればだいぶダメなやり方で、こんなの上手くいくはずがないと当時の私は憤っていました。結局、この通知は凍結となったのですが、重要なのはこの仕組みは、元をたどれば私が「このガイドラインが広まることを夢見ている」と言っていたプロセスガイドラインを臨床現場に実装させるために提案され発出された方法論だということです。同じゴールを目指しているにもかかわらず、当時の私にはこの厚生労働省のやり方がちょっとラジカルすぎるようにみえました。もう一つは「それはゴールにむしろ逆行する危険が大きい」という懸念でした。

 今回の「人生会議ポスター」と見たときの私の感情は、あの当時に比べればずいぶん小さいのですが、おそらく当時相談料に関する通知を見たときの私の感情に似ているのものだったかもしれないと私は思っています。エンド・オブ・ライフにおけるデリケートな意思決定プロセスを医療現場に普及させていくという願望は、後期高齢者終末期相談支援料のところで一度コケているので、今回のE-FIELDは何とか途中でコケないようにとても慎重に事業を進めていたのです。そして、ようやく「いい感じで普及しつつあるなあ」という実感を得つつあったところでのわりと唐突に飛び込んできたニュースを見て、慎重に積み上げていたブロックがぐらぐらしてしまうような感覚に襲われたのです。

 要するに、私の感情は「もう少しマーケティングをうまくやってほしい」という感情だったのだと思います。臨床における共同意思決定の普及を着実に進めたいという私の個人的な願望にとって、今回のポスターはちょっと刺激が大きかったのかもしれません。一方で、吉本興業や広告代理店などその道の専門家を普及事業の中に入れた厚生労働省の判断はすごく良いことだと思っています。どうしても私たち医療の専門家(すなわち宣伝の素人)だと、「思いを正しく伝えたい!」という感情が先に立ちすぎて、関心のない人たちに関心を持ってもらうという方法論が大きく欠落しますので。要はバランスが大切で、「思いを正しく伝えたい」という部分と「ポップに認識を広めたい」という部分がさらに良い形で統合されればいいなと思っています。ちなみに、私は「自分は医療者の中では結構広告代理店的な視点を持っている方だ」と思っていたのですが、やっぱりまじめに取り組んでいるアジェンダについては良くも悪くも「自分も随分保守的なのかもしれん」という発見もしました。

 ここまで書いて改めて感じたことは、何かしらの事実を目にして自分がほかの人たちよりも強く感情を揺さぶられることがあったとき、それはきっと自分が経験してきた人生のストーリーに基づくものだということ。もう1つは、ある事実に対して「正しい/間違っている」という価値判断をすることも大切かもしれないけれども、それ以上に「なぜ自分はこの事実を目にしてぞわっとしたのか?」という極めて主観的な問いを立てることは、自分が医療の専門家を続けていくうえで大切なことなのかもしれない、ということでした。臨床における意思決定と、意思決定に向かう上でのコミュニケーションの世界は今も私の医者としての興味の中心を占めているようです。

連載の紹介

尾藤誠司の「ヒポクラテスによろしく」
医師のあり方を神に誓った「ヒポクラテスの誓い」。紀元前から今でも大切な規範として受け継がれていますが、現代日本の医療者にはそぐわない部分も多々あります。尾藤氏が、医師と患者の新しい関係、次代の医師像などについて提言します。

この記事を読んでいる人におすすめ