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医師免許を取ったからって医者にならなくてもいい

2016/04/06
尾藤誠司(東京医療センター)

 先日、医師国家試験に合格した女性が、「ドラマが好き!」という理由で医師の道を選ばずTBSに入社したというニュースがありました。私は「へー面白い。がんばっていい番組作ってねー」くらいでスルーしてたのですが、その後facebook上で「この選択はいかがなものか」的な意見が複数の医師から発信されていました。これは「もはヒポ」的視点では実に面白い現象で、自分も考えをまとめてみたいと思った次第です。

「いかがなものか」の源泉
 批判を読む限りでは、「せっかく医学部を卒業して医師免許を取得したのに、医療や公衆衛生への道を選ばずエンタメにいくのはいかがなものか」というメッセージの根拠は、「医師一人を育て上げるのに4000万くらいの税金が投入されている。それに対して還元する義務が個人にはある」というものと、「もしその人が医師の道を最初から目指さなかったなら、医学部に入りたくても入れなかった別の人に道を譲ることができたかもしれない」という2つだと解釈しました。

 ですが、この2つの根拠に対して、私はあまり賛成できません。

 まず前者の根拠についての私の違和感です。確かにその個人は国益に対して損害を与えるかもしれません。しかし、この理屈を通してしまうと、日本の医学部を卒業し、USMLE(United States Medical Licensing Examination)を受験して米国で医業を生涯行うという人も「いかがなものか」と批判されることになるかもしれません。さらには、日本の医学部を卒業し、日本の医師免許を取得し、日本の研修病院で研修を行ったのち、すぐに美容外科や自由診療の道に進む人間も「いかがなものか」という批判の対象になるでしょう。さらにいうと、医師を目指して医学部に入学し、学生時代に大好きな人と結婚し、卒業して国家試験を受けて医師免許は取得したものの、まずはよき母親になろうと決意した女性も「いかがなものか」という批判の対象になりそうです。個人の自由な人生に対して大きな侵襲となる気がするのです。

 次に後者についての違和感です。医学部に入学する時点で、「臨床と研究にわが一生を捧げる」という覚悟で医学部を受験する人はそんなにはいないと思います。少なくとも私はそんな覚悟はまるでありませんでした。私は「たまたま」理科や数学の成績が他に比較してよかったにもかかわらず、「モノ」に対する情熱が全くなく、「人」にしか興味がなかったというだけの理由で医師を目指した人間です。ですから、医学部に合格したあとの6年間は「ああ、道を誤った」という「後悔の6年間」でした。医師になってから出会った実際の医療現場にはこの上ない魅力的な世界が広がっていたのですけどね。ただ、学生生活の6年間や、その後プロフェッショナルとして現場に立ってから、もっとやりたいことが見つかったり、「自分に医療の仕事は向いていなかった」ということに気付いたりする人はいると思います。私は、たとえ国が資源を投入していたとしても、その気づきを尊重したいと思うのです。

連載の紹介

尾藤誠司の「ヒポクラテスによろしく」
医師のあり方を神に誓った「ヒポクラテスの誓い」。紀元前から今でも大切な規範として受け継がれていますが、現代日本の医療者にはそぐわない部分も多々あります。尾藤氏が、医師と患者の新しい関係、次代の医師像などについて提言します。

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